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天保古道調査 road of the Edo period [八十里越え]

6月23日

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八十里越えの古道調査です。
只見町の古道研究家Hさん、加茂のTさん、吉ヶ平の語り部Haruちゃんと私で行きます。
7時吉ヶ平出発です。椿尾根への登りから守門岳が美しく見える朝です。

現在の八十里越えルートは明治27年の開削によるものです。
それ以前の道には中道、古道・・・といく通りものルートがありますが、天保14年開削の天保古道がよく残っており大々的な開削事業によるものです。
只見町側の古道はHさんらの熱意もありかなり調査も進んでいます。新潟県側調査はその緒についたばかりです。
前回の調査でよく残っているらしい、番屋乗っ越し〜関屋ツンネ(明治新道では、番屋乗っ越し〜関屋横手に相当)と椿尾根〜番屋乗っ越し(明治新道の上部にある尾根周辺のルート)を実踏調査します。
そして、テープ巻きや刈り払いなど若干の整備にもチャレンジします。

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ちょっとラフな結論ですが、荷車を通す規格で作られたトラバースの多い明治新道より、牛馬を通す規格の尾根道メインの天保古道の方が、崩壊しにくい地形に付けられているということです。従って、歩いてみると(藪漕ぎして)とてもしっかり道型が残っているのがわかります。刈り払いなど少し整備すれば歩きやすいルートに復活出来そうです。

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しかも、尾根沿いを歩くのが多いのでよい展望が開けています。
八木ヶ鼻、袴腰山、大谷ダム、粟ヶ岳(上のカット)や粟ヶ岳、青里岳、矢筈岳(下のカット)と、川内・下田山塊が一望です。

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長い時間の経過はかつて賑わった街道を獣道に変えています。
クマの糞・爪痕(上の3カット)、謎の巻糞(4カット目)、タカ(多分クマタカ?)に襲われたノウサギの毛(下のカット)と濃厚に野生動物の痕跡があります。

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よく道が残っているとは言え、大崩壊したところもあるし写真のように蔓(これは腕よりも太いヤマブドウ)の覆われた箇所もあります。長い時間の経過はしかたありません。

藪漕ぎの連続にも関わらず14時半には吉ヶ平に戻れました。天保古道全体の状態の良さのおかげです。よい調査結果が得られました。

今後更なる調査整備をすれば、明治新道なみに歩ける道になります。
天保古道、明治新道を組み合わせれば素晴らしいルートが組めます。八十里越えの奥深い魅力を更に発揮させることが可能になります。


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