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八十里越え親子3代 history of Hatijuurigoe [八十里越え]

7月2日

IMG_2493.JPG
北五百川集落
village of Kitaimogawa


有名な棚田のある(日本棚田100選)北五百川集落に親子3代で120年以上を八十里越えを通ったという方がいらっしゃるとのことでインタビューにお邪魔しました。下田郷魅力発信協議会として伺いました。

現在79歳になられるかたでとてもお元気です。東北大震災までは只見町をはじめ南会津郡一帯を行商されていたということです。お爺様、お父様、ご自身も当初は八十里越えの街道を歩いて通われたそうです。ご自身は磐越西線、只見線開通後は鉄道と自転車で回り、お爺様、お父様は歩きで香川県一県もある広大な地域を回っておられたそうです。
草刈ガマ、包丁、ハサミなど金物や農家に必要なものを運び売り歩いたのだそうですが、三条名産の車麩も人気の品で会津の人たちから「麩屋さん」と呼ばれることが多かったそうです。
頼まれれば何でも運び、お父様は種豚にする子豚8頭を唐丸籠にいれて担いでいったこともあったそうです。流石にその時は、木の根峠のお助け小屋に泊まったそうです。荷で揺られぐったりした子豚を峠で下して遊ばせたら元気になって、今度は捕まえるのに苦労したそうです。それに時間をとられ泊まるはめになったとか。
笠堀の五十嵐砥(砥石)も重くて40kgは背負ったそうです。
当時、道が良かったこともありますが、8時間チョットで峠を越した(「登り四里、下り四里」)というので昔の人の体力は恐るべきものがあります。
北五百川を3時出発し、長野、吉ヶ平と経由し入叶津、叶津と辿ったそうです。
1度行商に行けば40日ほどかかり、年に3回ほど通ったそうです。
会津の方が居心地がいいくらいで、「しなた」(貴方)、「にしゃ」(お前)・・・と会津弁にもすっかりなじんでおられたようです。それも親子3代にわたるお客さんへの信用と会津の人たちの人情によることのようです。




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