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叔母を偲んで In Memory of the aunt [母とのこと]

9月22日

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いい天気です。
5時起きで朝食後、母を迎えに島見のグループホームへ行きます。今日は叔母の四十九日と納骨の日です。墓は分水町なので少し遠出です。
花屋に寄って頼んでおいた花を受け取ります。実家で礼服に着替えます。早起きしたのは、ここのところ一段と母の行動がスローペースになっているからなんです。

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国上山と弥彦山(上) 良寛像(左下) 良寛資料館(右下) Ryokan's Historic Areas


良寛エリア
高速で燕三条まで行ったら、みんなとの待ち合わせ時間より1時間も早く着いてしまいました。近くに燕市分水良寛資料館があります。ここいら分水町の地蔵堂辺りはドップリ良寛さんゆかりの地域です。そこを私だけ見学しようと行ったら、母も見たいらしいんで一緒に入りました。駐車場から入り口まで杖だとじれったいから、歩行器を持ち出してドタバタしてたら、資料館の方がご親切にも車椅子を出してくれました。大騒ぎです。高齢者とその付き添いということで入館料も免除していただきました。燕市に好印象を持つことができました。良寛さんの書や手毬の絵などが見れます。連休のせいか見学者も入れ替わり立ち替わりです。
館の方に、「[新月]?[新月]?寺で法事なです。」と言うと、「[新月]?[新月]?寺のどちらさんですか?」とたずねられます。名前を言うと、「それなら寺泊の大地主さんですね。」とおっしゃります。本家の当主が神奈川にいるなんてのもご存知でした。よくわからないのですが、実のところうちはその末裔の末裔みたいなもんらしいです。その「寺泊の元大地主さん。」の方に寺でお目にかかったことがあるんですが、そちらの家では「信州の真田家」の家来だったってなことが信じられているようです。かなりの眉唾ですが、そうだとしても家来にかすぎないし。それとも猿飛佐助の子孫とか?
まあいずれにしろ父方はこの「良寛エリア」に棲息していたようです。

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父方の親戚
東京からの妻、次男、叔父さん、従妹と寺で落ち合い、四十九日、納骨を済ませました。叔母のお骨は地に、魂は空へと旅たちました。

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マッタケ食ったぞ!
チョット遠いけどお斎はしただ郷の「嵐渓荘」さんにお願いしました。美味しいし、雰囲気いいし。遠いといっても50分弱で行けました。着いてからが母を運び込むのがまた大騒ぎです。歩行器で行って、また車椅子を借りたりとご迷惑かけました。
美味しかった!
松茸土瓶蒸し(左上)、鯉のあらい(左下)・・・。山菜、海のものたらふく食べました。母も随分いただきました。ふと、食堂向かいの使われていないような建物の壁にキツツキの穴がたくさん開いています。遠目にアオゲラらしき姿があるんですが、動きません。木彫りのキツツキでした。誰か洒落っ気のある人がここにつけたんですね。
ここで東京組とお別れです。次男の車で長岡駅にとりあえず向かってもらいます。そういえば世間では5連休だとか、関係あるのは次男と従妹だけです。父方の親戚はもう残り少なくこじんまりした法事でしたが、人数に関わらず段取りは一通りなんで少し疲れました。

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私は母ととりあえず実家へ向かいます。
阿賀野川沿いの夕陽(下)と上弦の月(上)です。実家では礼服を着替えます。



母をグループホームへ送り届けます。
もう真っ暗です。「チンチロリン、チンチロリン・・・」と、グループホームの丘の道でマツムシが鳴いています。松があるからじゃなくて、ススキもあまり無く、多分チガヤの藪に棲んでいるんでしょう。

母は多少疲れたでしょうが、楽しかったようです。それだけでもよかったです。
みなさんありがとうございました。そして、叔母と今日一日中にも感謝です。


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えちごびと おやじ@新潟

法事お疲れさまでした。
法事等があると必ず「ルーツ」の話題が出てきますね。
叔母様の「魂は天に」という表現にじんときました。
嵐渓莊さんのお斉で出た土瓶蒸しの白身魚は「ハモ」のように見えます。
もしくは新潟では「コチ」を使うこともあるので「コチ」かもしれません。
どうでも良い情報でした(^_^;)


by えちごびと おやじ@新潟 (2015-09-24 20:32) 

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