疑問を残して東京を去ります I left Tokyo with mysteries left [東京]
3月26日
夕方、神田へ行きます。5時前の淡路町交差点です。
待ち合わせ6時なのに、随分早めに着いてしまいました。明るいので、6時になっても店が開くのか心配になりました。まだ開かないならオープン前にでも入れてもらおうと頼みに行きました。ところが何ともう開いていたんです。久しぶりに挨拶に顔だしたら、結局飲むはめになりました。時間まで他所でコーヒーを飲んで待とうと思ったのですが、早めのビールに変更です。マスターご夫婦と昔話をしながら飲むビールはいいですねー。6時になり淡路町交差点に相手を迎えに行き飲み直します。(左下)軽く〆た鯖の切り口が赤く美味しそうでしょ!こうでなくちゃね。
頃合いになれば何時もは満席で入れなくなる店ですが、今日は席に多少余裕があります。好景気と言われてますが不思議?サラリーマンの懐具合は悪いのかなぁー。
3月27日
午前中は歯医者、病院の予約です。昨晩飲んだ神田ですが、また神田です。
早めに家を出ます。
庭のアケビにツユが下りています。
家の前のサクラは朝は3部咲きくらいでした。(下)午後2時頃戻った時にはもっと開いていました。上は神田司町2丁目にある千代田小学校のサクラです。ほぼ満開です。(上)
その神田司町は変です。外堀通りを挟んで東西にあり、かつて我が社は西側にあり、千代田小学校などは東側にあります。我が社は2丁目で、千代田小学校側が1丁目かと勝手に勘違いしていました。こちら側も2丁目でした。千代田小学校の側に小さなお稲荷さんがありました。(左上)こんな近くなのに通ったことのない小路で今日初めて気づきました。3〜4人の地元の人たちがちょいとした縁日らしいの準備をしていました。お祭りですかと聞くと、「丑の日」とのことです。「丑の日」ってまあお祭りみたいなもん?でしょう。ヤカンに「司ニ」とあります。(右 フタが「司一」みたいに見えますが、上の一が掠れているだけです。)聞けば、外堀通りのこっち側も2丁目なんだそうです。じゃあ1丁目はどこ?縁日準備のオバさんに、丁目に関しての看板があると教えてもらいました。左下がそれです。うーん!書いてあることがややこし過ぎて何だかんだわかりにくいです。この看板やら後で調べた限りでは、司町にはかつて1丁目、2丁目があったが今は1丁目は内神田1丁目に編入されていてなくなっているということらしいです。いろいろあり司町の名にこだわりがある地元の要望が強く司ニは残っているようです。でも司町1丁目はというと、住所名がなくなったのに「司町一丁目町会」というのはあり、神田祭になれば「司町一丁目町会」のみこしが出るんだそうです。隣の大手町みたいなほぼほぼオフィス街とは違い、勤め人と地元民の2重構造の社会です。この神田っ子というか土着民というか神田ネイティブの人たちというのがややこしい存在でもあります。それが町に味わいをもたらしているとも言える妙な存在です。地名問題も神田っ子のこだわりのせいでしょう。神田多町も同様な1丁目・2丁目問題があり、町会、みこし問題もあるみたいです。更に、鍛冶町1丁目・2丁目と神田鍛冶町3丁目問題というのもあります。
「町」をマチと言うかチョウと言うかの違いは、どっちがどっちかは忘れたけど、江戸時代に町人町か武家町だったかの違いによるのだそうです。(私のお世話になってる神田っ子の歯医者さんに聞いた話です。)しかもマチ、チョウ問題には例外もあるとか。
言い出すとキリがないほど複雑な、そしてどうでもいいことがいっぱいある神田です。それが面白いって言えなくもないですけどね。尽きない謎の町神田ですが、もうやめましょう!
神田でその歯医者さんと病院を午前中に済ませて、午後から八王子に戻ります。
今回ジョウキョウのメインな目的は八王子市役所に行き解決しなければいけません。駅前の支所で済ませられると思っていたのですが、そんな問題じゃなく本庁に行かねばなりませんでした。本庁は不便なところにあり、そして思った以上にややこしい問題でした。新潟の役所で確認したことと八王子市役所と矛盾するし、臨時職員っぽい人の応対問題やらあり大バトルの末にやっと解決しました。何とか問題解決にいたりましたが、用意した書類だけでは足りず、念のために持っていた書類まで提出するハメにもなりました。っつたっく!役所ってのは!
ロビーにカモシカの剥製があります。「八王子産のカモシカかー?」と思って撮ったのですが、これがよく見ると長野県で獲れたカモシカです。何でここにあるの?
まあ、いいや!
いろいろ疑問はのこりましたが、ここからは圏央道が近いのでもう帰ります。
夕方、神田へ行きます。5時前の淡路町交差点です。
待ち合わせ6時なのに、随分早めに着いてしまいました。明るいので、6時になっても店が開くのか心配になりました。まだ開かないならオープン前にでも入れてもらおうと頼みに行きました。ところが何ともう開いていたんです。久しぶりに挨拶に顔だしたら、結局飲むはめになりました。時間まで他所でコーヒーを飲んで待とうと思ったのですが、早めのビールに変更です。マスターご夫婦と昔話をしながら飲むビールはいいですねー。6時になり淡路町交差点に相手を迎えに行き飲み直します。(左下)軽く〆た鯖の切り口が赤く美味しそうでしょ!こうでなくちゃね。
頃合いになれば何時もは満席で入れなくなる店ですが、今日は席に多少余裕があります。好景気と言われてますが不思議?サラリーマンの懐具合は悪いのかなぁー。
3月27日
午前中は歯医者、病院の予約です。昨晩飲んだ神田ですが、また神田です。
早めに家を出ます。
庭のアケビにツユが下りています。
家の前のサクラは朝は3部咲きくらいでした。(下)午後2時頃戻った時にはもっと開いていました。上は神田司町2丁目にある千代田小学校のサクラです。ほぼ満開です。(上)
その神田司町は変です。外堀通りを挟んで東西にあり、かつて我が社は西側にあり、千代田小学校などは東側にあります。我が社は2丁目で、千代田小学校側が1丁目かと勝手に勘違いしていました。こちら側も2丁目でした。千代田小学校の側に小さなお稲荷さんがありました。(左上)こんな近くなのに通ったことのない小路で今日初めて気づきました。3〜4人の地元の人たちがちょいとした縁日らしいの準備をしていました。お祭りですかと聞くと、「丑の日」とのことです。「丑の日」ってまあお祭りみたいなもん?でしょう。ヤカンに「司ニ」とあります。(右 フタが「司一」みたいに見えますが、上の一が掠れているだけです。)聞けば、外堀通りのこっち側も2丁目なんだそうです。じゃあ1丁目はどこ?縁日準備のオバさんに、丁目に関しての看板があると教えてもらいました。左下がそれです。うーん!書いてあることがややこし過ぎて何だかんだわかりにくいです。この看板やら後で調べた限りでは、司町にはかつて1丁目、2丁目があったが今は1丁目は内神田1丁目に編入されていてなくなっているということらしいです。いろいろあり司町の名にこだわりがある地元の要望が強く司ニは残っているようです。でも司町1丁目はというと、住所名がなくなったのに「司町一丁目町会」というのはあり、神田祭になれば「司町一丁目町会」のみこしが出るんだそうです。隣の大手町みたいなほぼほぼオフィス街とは違い、勤め人と地元民の2重構造の社会です。この神田っ子というか土着民というか神田ネイティブの人たちというのがややこしい存在でもあります。それが町に味わいをもたらしているとも言える妙な存在です。地名問題も神田っ子のこだわりのせいでしょう。神田多町も同様な1丁目・2丁目問題があり、町会、みこし問題もあるみたいです。更に、鍛冶町1丁目・2丁目と神田鍛冶町3丁目問題というのもあります。
「町」をマチと言うかチョウと言うかの違いは、どっちがどっちかは忘れたけど、江戸時代に町人町か武家町だったかの違いによるのだそうです。(私のお世話になってる神田っ子の歯医者さんに聞いた話です。)しかもマチ、チョウ問題には例外もあるとか。
言い出すとキリがないほど複雑な、そしてどうでもいいことがいっぱいある神田です。それが面白いって言えなくもないですけどね。尽きない謎の町神田ですが、もうやめましょう!
神田でその歯医者さんと病院を午前中に済ませて、午後から八王子に戻ります。
今回ジョウキョウのメインな目的は八王子市役所に行き解決しなければいけません。駅前の支所で済ませられると思っていたのですが、そんな問題じゃなく本庁に行かねばなりませんでした。本庁は不便なところにあり、そして思った以上にややこしい問題でした。新潟の役所で確認したことと八王子市役所と矛盾するし、臨時職員っぽい人の応対問題やらあり大バトルの末にやっと解決しました。何とか問題解決にいたりましたが、用意した書類だけでは足りず、念のために持っていた書類まで提出するハメにもなりました。っつたっく!役所ってのは!
ロビーにカモシカの剥製があります。「八王子産のカモシカかー?」と思って撮ったのですが、これがよく見ると長野県で獲れたカモシカです。何でここにあるの?
まあ、いいや!
いろいろ疑問はのこりましたが、ここからは圏央道が近いのでもう帰ります。
2018-03-30 23:38
nice!(112)
コメント(1)
江戸時代の町人町か武家町かによって「まち」と読むか「ちょう」と読むか?面白いですね^^
どちらにしろ神田は時代小説を読んでいると頻繁に出て来る町名。
興味ありますね^^
モリガメさんは本家と別荘がおありなんですね~♪^^
by mimimomo (2018-04-02 12:32)