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浜の自然を壊すのは誰? Who breaks the nature on the beach? [スポーツ、ヘルス]

7月8日

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暑い盛りを避けて夕方から松浜を走ります。日中晴れていたのですが、やや雲が出てきました。
今日は視程がよく遠い粟島もクッキリ見えます。

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釣り人がいます。たいがいシーバス狙いなんでしょうが、テトラの崎では誰も連れていません。右上の人は魚影からしてマゴチらしいものを釣っていました。この人は浜から海に浸かって釣っていました。楽して食い気のある魚がいないところで竿を振ってもムダですね。

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黄色いソウメンみたいなのが植物の覆いかぶさっています。アメリカネナシカズラという外来種です。雄しべが花冠から突き出ているので、ネナシカズラ、マメダオシやハマネナシカズラなどの似たものとは区別できいます。
他の植物に吸盤で絡みついて生長するつる植物です。寄生植物であり、葉緑素をもたず、葉も退化しています。要注意外来生物に指定されています。

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天山山脈やタクラマカン砂漠のオアシスじゃあありません。松浜の浜に運び込まれた砂山の山です。

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あちこちの工事現場であまったりした土砂がここへ運び込まれてるという噂です。こういうサラサラな砂もあれば、セメントを含んだ固まりやすい砂もあります。浜を全くロックアウトするわけにもいかないのでしょうけど、簡単な囲いと工事現場なんで立ち入り禁止みたいな看板はあります。ともかく人目に付かないように捨てられているんです。国土強靭化の名による自然破壊のようです。キャタピラーと鉄板で、新井郷川から阿賀野川にかけての海岸線(つまり松浜の浜)にダンプが通り抜け出来る道が開通しています。去年まで残っていた自然のままの浜は無くなっています。
じわじわと侵食されていた自然の浜はあっという間に消え去りました。道幅ははっきりしません。道以外のところまでは破壊は及んでいませんが、昔の手付かずの浜ではなくなっています。

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上はそのキャタピラー道から見た南側です。「松浜の池」や松浜の灯台が見えます。この地点の北側は波打ち際手前20mくらいまでセメントを含んだ砂が積まれています。
右下は「松浜の池」奥の方にいるカルガモの群れです。上空を通過するカモメの群れです。(左下)

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波打ち際にはカモメとカラスです。カモメのおこぼれをカラスが狙ってるんでしょうか?

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夕焼けの向こうが、佐渡です。
左のカットで左下に見える突堤は新潟西港のもので、つまりあの辺りが信濃川河口になります。
突堤の直ぐ後ろの濃い影が小佐渡で、薄い影で雲のかかっているのが大佐渡の山です。

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上は新潟空港から佐渡方向に向かって離陸する飛行機です。佐渡方向に離陸することが多いですが風向きによっては反対の松浜方向に上がることもあります。
下の2カットは松浜上空を通過して新潟空港へ着陸する飛行機です。

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上は松浜灯台です。小学生の頃には阿賀野川の波打ち際に立っていたのですが、上流からの砂の堆積で今では川からも海からも500m以上陸に入った地点になっています。「松浜の池」の西端に近いのですが、だいたい「松浜の池」自体がその頃阿賀野川の入江の一部だったんです。
下のカットは灯台脇の廃屋に咲くアジサイとノウゼンカズラです。この辺りが阿賀野川側の浜の集落では最下流になります。海岸線から500mほど内陸ですが、海風直撃エリアです。

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また上を通過した飛行機が新潟空港に下りて行きます。
ここから浜を外れて行きます。

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浜の集落を通り阿賀野川沿いを上ります。
かっこいい防火ポスターがありました。(左下)平成26年新潟市防火ポスターコンクール最優秀賞作品でした。平成も過去になっちゃったねぇー。注釈によると作者は西区の小学5年生とあるけど、もう高校生になっている頃ですね。
右下は堤防下の川ゴミです。葦の茎がビッシリです。
上は松浜橋越しの粟ヶ岳です。しただの家はあの麓で、ここから60kmほどの道のりがあります。

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松浜の港の港内です。

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下は港の最奥の当たりです。この辺りはまだたくさんの漁船が係留されてますが、港入り口辺りは疎らでした。随分船が減った感じです。

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松浜橋の上に来ました。夕陽がきれいでしょ!昔の阿賀野川橋は1kmにも及ぶ木造砂利道、車のすれ違いが出来ない、所々に穴が開いて川面が見える怖〜い橋でした。橋の真ん中で行き合ったトラック同士が、「自分が先だからお前がバックしろ!」って喧嘩してるのをよく見ました。
右下は最近上に出来た「ござれや橋」です。「ござれや」というのは松浜で「来てください。」と言う意味です。「阿賀野川ござれや花火」は新潟では有名な人気花火大会です。

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左上は砂丘(今は家がビッシリで砂丘の面影はないです。)から南側を見たところです。砂丘の真下が松浜の昔の街です。海からの北風が丘に遮られる南側のいい場所に人は住み着いたのでしょう。港のある海に近い浜は漁師の住むところです。海風直撃で「ハマのやんどもメラ」などと呼ばれた荒くれ者のエリアです。街とハマでは言葉も違い、昔は子供たちも一緒に遊ぶこともなかったんです。
右上と下は、午前中来た運河です。ここも船がいっぱい泊まっています。右上のカットで運河の奥に見える山は飯豊連峰の大日岳です。ついこないだまでは雪で白く輝いていました。

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山を上りきります。昔は砂丘の砂山だったところですが、すっかり住宅地です。道の真ん中にネコが陣取っています。

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全然退こうともしません。

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脇を通らせてもらいます。

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左上は町から丘を越える道の1つです。慶応4年戊辰戦争の時、この道の上り口で庄内藩士が長州軍と遭遇して切られています。庄内藩士石原倉右衛門は武器商人スネルとの契約書を携えて国許に戻る道中でした。この人は江戸の薩摩藩邸焼き討ちの首謀者の一人です。この後西郷隆盛もこの辺りに上陸し松浜に滞在しています。これは何かの因縁なのでしょうか?この事件の石碑が坂の下にあるのですが、私のオリンパス馬鹿カメラは、何回撮っても石碑やその周辺にピントが合わないのです。不思議だー!
また、子供の頃この坂はもっと曲っていて、石碑の下の曲がり角を曲がった瞬間お婆さんがこっち向きに立ちションベンしてるのに鉢合わせしたこともあります。お婆さんなんだけど立ちションなんです。急坂を背にして道に踏ん張り下向きにした方が、よく飛ぶし飛沫もかからなくて爽快だったのでしょう。お婆さんもビックリしたでしょうが、こっちこそとてもバツの悪い思いをしました。今だに心に残る傷を負ってしまいましたが、あれがもっと若い人だったらと心の片隅で思わないでも無かったです。
阿賀野川の土手下で五・十の市が立つのですが、その土手から見下ろすと・・・・・!アー。品位に関わるので、立ちション話はもうやめます。
そんな因縁の場所です。後年母もこの急坂をスーパーで買い物して帰る時難儀したとこぼしてました。

新井郷川を下り、海に出て、阿賀野川を上り(下 松浜橋)、運河から、丘を上ってもうじき家です。上空を飛行機が通過します。

今日は3時間もかけての4km弱のランでした。ほとんど運動にもなってないです。
やはり松浜好きです。
長々とゴメンね。

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夏炉冬扇

ニャンちゃん大あくび★★★
by 夏炉冬扇 (2019-07-12 17:58) 

モリガメ

堂々としてました。
by モリガメ (2019-07-12 18:22) 

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