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吉ヶ平自然環境調査 2019.10.07 Yoshigahira Natural Environment Survey [しただ郷自然くらぶ]

10月7日

吉ヶ平歴史調査
今日は吉ヶ平の歴史調査の日です。
この度の吉ヶ平調査は主に自然調査ですが、吉ヶ平については八十里越の歴史と切り離すことは出来ません。最終的に調査結果をガイドブックにまとめる時には、歴史などはコラム的な扱いにするつもりです。

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吉ヶ平山荘の向かい炭焼き小屋方向の遠くには遥か網張岳が見えます。(上)
炭焼き小屋の上り口あたりにゴマナを見つけました。(中)
今日の歴史調査の講師は「NPOしただの里」理事長の大竹晴義さんです。(下)彼は私たちの「しただ郷自然くらぶ」のメンバーでもあります。今日も何かと忙しいので八十里越の草刈りをしながら道々のガイドしてくれます。
38豪雪(さんぱちごうせつ)の時、この場所にあった電柱ほどの高さ(約9m)の積雪があったことなどのエピソードを語ってくれています。
ちなみに、有人観測世界1位の積雪は、伊吹山で1927年2月14日、1m82cmと言うことになっています。

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彼の歴史話を聞きながらも、自然調査もします。もっとも先日椿尾根へ行ったのと同じ八十里越方面です。
触れると弾けるツリフネソウの実です。(左上)
アケビの実がたくさん有りました。(右上)
真新しいクマの糞です。未消化なヤマブドウの実の皮なども含まれていました。(下)

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この辺り吉ヶ平集落近くの八十里越方向には只見へ向かう天保古道、明治新道その他ショートカットの道が入り乱れています。(上)
下は十八坂と呼ばれていた明治新道のつづら折れに上っているところです。下の方で休んでいる青ヘルメットの人たちは、その昔の道路遺構を調査のために草刈りをしている三条市役所や業者の人たちです。

観察メモ(観察順、メモのまま)

ゲート〜吉ヶ平山荘
タイリンヤマハッカ

吉ヶ平山荘〜馬場跡
ゴマナ、コメナモミ、ノコンギク、ユウガギク、カントウヨメナ、ミゾソバ、サラシナショウマ

馬場跡〜十八坂
クマの糞(ヤマブドウ)、クロバナヒキオコシ、ケアブラチャン、ナンブアザミ、ミゾソバ、ミズヒキ、ツリフネソウ、イタヤカデ、カラハナソウ、ヤマブドウ、タイリンヤマハッカ、ナラタケ、クサギの実、ミズ(ウワバミソウ)、キハダ、サルナシ、アケビ、ハイイヌガヤ


歴史メモ(メモの順、メモのまま)

・ 昭和45年集団離村の時、吉ヶ平には20軒ほどの家があった。
・ 守門館 長岡藩の埋蔵金探しの人なども泊まっていた。
・ 吉ヶ平神社の建物は→栄→見附のコロナの裏にある神社に移築されている。
吉ヶ平神社にあった彫物の一部は八木神社にある。
・ 椿庄兵衞どんの家 吉ヶ平神社の向かい守門川のそば。吉ヶ平のおやっさま。河井継之助が泊まったとも言われている(?)
・ 高倉宮以仁親王家来で源仲綱の墓がある。乙部右衛門之丞と言う源仲綱の従者が椿家の先祖と言われている。
・以仁親王の墓は京都にあるが、死後東国に落ちのびたと言う生存説がある。各地の高倉神社。
尾瀬中納言(尾瀬)、大内宿(高倉神社)・・・
・ 椿丑太郎の屋敷が横越の北方博物館に移築されている。(源仲綱の墓の上の方にあった。)
・馬場跡の道標→詞場の道標→八十里越と続く道は天保の道で、明治の道は橋から川沿いに下にあったが、川沿いの下流部分は消滅している。
・川沿いから天保の道方向へ上がるつづら折りの緩やかで、広い道が明治の道として残っている。
・ 十八坂もその一つである。
・馬場跡の道標は間違いで水田だった場所。馬場は水田の上にある杉林の方。詞場の道標は祠場の間違い。
・天保の古道と平行して田んぼに水を引いた水路跡もある。
・丸つぶれの池と番屋山の間の沢からも水を引いている。
・清水場(しんずば)と言う一旦水を貯めて、水温を上げる池もあった。

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