真珠道(まだまみち)を行く ancient road from the port to Shuri Castle [旅]
11月29日
首里城焼失のテレビ映像を悪い夢を見る様に現実感無く見たのは、沖縄旅行に出発する極寸前でした。
ゆいレール首里駅から歩き、そのテレビ映像を撮影した地点である龍潭池の辺りに立ちました。
北殿、正殿と見渡せるポイントですが、午後の時間では遠くて焼失した夜間映像の迫力は有りません。焼け跡はのどかに晴れわたっています。焼け跡そのものは現在立ち入り禁止です。
こちら側の久慶門(上)、歓会門(中)は閉ざされています。中には入れません。
守礼門(下)は無事です。
離れると歓会門越しに北殿、正殿の焼失現場が見ることが出来ます。
こちらからよく見えているのは北殿の西側と思われます。
激しく崩れ落ちています。
復興までどれほどの時間を要するのでしょうか?悲しい!
最初に沖縄へ来たのは日本への復帰すぐだったので首里城は全く無く、守礼門と龍潭池くらいがあっただけでした。その頃にもどったと言えばそれまでですが、沖縄復興のあかしだった首里城が無くなったのは寂しいことです。
金城町石畳道です。
首里城が無くなってもここへは来たかったです。時間があればさっき帰った仲間を連れてきたかって場所の1つです。「石畳茶屋 真珠」など素敵なカフェもありまっせ!次回は是非!
守礼門を首里城西端に沿って南に少し降りたあたりに入口があります。駐車場の脇で少し入口はわかりにくいです。まああまり観光客に来て欲しくないんでわかりにくい方がいいです。
ここからずーっと沖縄らしい住宅地を下って行きます。
最初この道に来た時、この辺りの左の石垣の間から黒い沖縄風の服を着た老婆が出てきて驚きました。古い沖縄の情景が蘇ったようでした。
今日は小学生の帰り道です。
近所のオジイが「お帰り!」って声かけてくれます。この頃は見知らぬ人も増えてるから近所の見守りも必要になってきましたね。
左に小道を入りま〜す。
家々の間の鉤の手に曲がった道を行った先に大アカギがあります。昔から護られている森霊気にキジムナーがひそんでているかも。(右上)
元の道と違う道を通って下りの石畳道へ戻ります。
月桃の葉にカタツムリが休眠しています。(左上)この辺りの住宅街に仄かに月桃のいい香りがします。いいな!月桃のムーチー好きだから癒される香りです。ブーゲンビリアの花も満開です。(下)
下る石畳道に戻りました。急な箇所もあります。地元の人は慣れてるんでしょうけど、底の柔らかい靴だと歩きにくいです。
右手に古い民家を解放した休憩所があり、ガジュマルがあります。ここも横道が交差しています。右の坂(左上)を上がると大樋川と言う共同井戸が有りました。(右上)
ガジュマルに戻り、今度は左手の道を行ってみます。
マヤー(ネコ)がたくさんいる庭や家々を過ぎて、そこにも上ヌ東門ガーと言う井戸がありました。(右下)
戻りにヒラヒラ大きなチョウを見かけました。(上)日本最大級のオオゴマダラです。ユッタリと空を舞っています。
たくさんある横道にも花をいっぱい見かけます。(左下)
真珠道(ままだみち)と言う美しい名の街道は、琉球王朝時代の16世紀に作られた首里から那覇港にかけての約9kmのルートです。
真珠道が作られた時代背景として13世紀から16世紀に朝鮮半島や中国大陸沿岸で活動していた「倭寇」と呼ばれる海賊が外海からの脅威であり、中国をはじめとする外国との窓口となっていた那覇港周辺は琉球王府にとって重要な拠点で、防衛のための軍用路が必要だったと言うことがあります。
そのルートは、首里城の敷地内にある守礼門の東南脇にあった石門を起点に、守礼門脇の石門から金城坂(かなぐすくひら/現在の金城町石畳道)、識名坂(しきなひら)、真玉橋(まだんばし)、石火矢橋(いしひやばし)、豊見城城下の東北側、小禄の丘の中腹を通り、那覇港の南側に位置する垣花(かきのはな)の屋良座森城(やらざむいぐしく)にいたるものだったと言われています。
識名坂辺りでアスファルト舗装の下から昔の真珠道の石畳が発見されたりもしていますが、真珠道全行程の下部のほとんどは現在舗装道路に隠れされています。でも、その道沿いには多くの史跡が残っていて興味深いルートです。今日は識名園まで歩いて見たいです。
当時の真珠道の様子がよく残る金城町石畳道を下りきって、識名坂に差しかかる地点にいます。大きな道の面し首里殿内と言うレストランが右手に有り、左手にある小さな公園にはアカバナー(ハイビスカス)を浮かせた石の鉢があります。(下)ここからの識名坂は普通の舗装道路ですが、今度はいきなりの急登です。上は、その坂の途中から松城中学校越しに金城町石畳道や首里城方向をふり返った景色です。アカバナーの鉢を撮った公園は一番低い辺りです。
上りきって変則的な交差点があり女子中学生に識名園への道を確認します。しばらく行って大通りに出てまたわからなくなり、立ち話してるおばさんたちに聞いて、左に識名宮と言う神社方向へ向かいます。その辺りから上りになり、頂上一帯が広い墓地団地になっている中を進みます。門中墓(父系の親戚が入る墓)が多いし、その前で宴会もするしと行った理由で一つの墓自体が巨大です。そんな巨大墓が延々と広がって道の両側にあるんです。
そんなお墓の山を下りきった辺りに識名園が有りました。遠くて今日来るのを諦めかけたのですが、何とか閉園前に回れそうな時間に着きました。
琉球王家の別邸で、外国使節などの接待にも使われた施設です。大きな池を前にいろんな沖縄風建造物が建っています。その周りは鬱蒼とした、でも手入れが行き届いたジャングルが取り囲んでいます。
いきなり立派なガジュマルのトンネルです。(上)
1本のガジュマルからたくさんの気根が生えて、それ自体で1つの森です。(下)
ジャングルが夕陽に映えます。
池と宮殿に出ます。
ちょっと新宿御苑的なユッタリ感です。(上)
奥の方に展望台があり広大な景色が見渡せます。島なのどこにも海は見えません。中国からの使節に沖縄を大きく見せてなめられない様にする効果を狙ったと言われています。(下)
帰り道もジャングル通過です。クワズイモが亜熱帯感を醸し出してますねぇー!
なかなかトロピカルないい庭園でした。ゆっくりまた来たいものです。
ここからはタクシーで宿に戻りましたが、例のお墓マウンテンを通過しました。
すると、運転手さんが自分が経験した「沖縄お墓話」を始めました。広くともこの様な街中の墓は大丈夫だけど、田舎の墓は怖いよー!って話でした。田舎である日乗せたお客さんの家が墓場の奥にありひどく不気味だったそうです。普通、家って墓場の前にあるのに、逆に墓場の裏にある一軒家ってのがとても怖いシチュエーションだったんだそうです。運転手さんみたいに上手く言えないけど、怖楽しかったです。
真珠道前半だけだけど、余計に首里駅から首里城公園分も歩きだったから随分歩けました。しかも伊勢崎でランチビアの後ですからね。そうそう、午前中壺屋のやちむん通り往復もしたしー。
1日沖縄楽しんだなぁー。皆んなとする旅もいいけど、1人旅もしみじみいいよ。
まあ、今日はまだ終わったわけじゃない。最後の那覇ナイトを楽しもう!
首里城焼失のテレビ映像を悪い夢を見る様に現実感無く見たのは、沖縄旅行に出発する極寸前でした。
ゆいレール首里駅から歩き、そのテレビ映像を撮影した地点である龍潭池の辺りに立ちました。
北殿、正殿と見渡せるポイントですが、午後の時間では遠くて焼失した夜間映像の迫力は有りません。焼け跡はのどかに晴れわたっています。焼け跡そのものは現在立ち入り禁止です。
こちら側の久慶門(上)、歓会門(中)は閉ざされています。中には入れません。
守礼門(下)は無事です。
離れると歓会門越しに北殿、正殿の焼失現場が見ることが出来ます。
こちらからよく見えているのは北殿の西側と思われます。
激しく崩れ落ちています。
復興までどれほどの時間を要するのでしょうか?悲しい!
最初に沖縄へ来たのは日本への復帰すぐだったので首里城は全く無く、守礼門と龍潭池くらいがあっただけでした。その頃にもどったと言えばそれまでですが、沖縄復興のあかしだった首里城が無くなったのは寂しいことです。
金城町石畳道です。
首里城が無くなってもここへは来たかったです。時間があればさっき帰った仲間を連れてきたかって場所の1つです。「石畳茶屋 真珠」など素敵なカフェもありまっせ!次回は是非!
守礼門を首里城西端に沿って南に少し降りたあたりに入口があります。駐車場の脇で少し入口はわかりにくいです。まああまり観光客に来て欲しくないんでわかりにくい方がいいです。
ここからずーっと沖縄らしい住宅地を下って行きます。
最初この道に来た時、この辺りの左の石垣の間から黒い沖縄風の服を着た老婆が出てきて驚きました。古い沖縄の情景が蘇ったようでした。
今日は小学生の帰り道です。
近所のオジイが「お帰り!」って声かけてくれます。この頃は見知らぬ人も増えてるから近所の見守りも必要になってきましたね。
左に小道を入りま〜す。
家々の間の鉤の手に曲がった道を行った先に大アカギがあります。昔から護られている森霊気にキジムナーがひそんでているかも。(右上)
元の道と違う道を通って下りの石畳道へ戻ります。
月桃の葉にカタツムリが休眠しています。(左上)この辺りの住宅街に仄かに月桃のいい香りがします。いいな!月桃のムーチー好きだから癒される香りです。ブーゲンビリアの花も満開です。(下)
下る石畳道に戻りました。急な箇所もあります。地元の人は慣れてるんでしょうけど、底の柔らかい靴だと歩きにくいです。
右手に古い民家を解放した休憩所があり、ガジュマルがあります。ここも横道が交差しています。右の坂(左上)を上がると大樋川と言う共同井戸が有りました。(右上)
ガジュマルに戻り、今度は左手の道を行ってみます。
マヤー(ネコ)がたくさんいる庭や家々を過ぎて、そこにも上ヌ東門ガーと言う井戸がありました。(右下)
戻りにヒラヒラ大きなチョウを見かけました。(上)日本最大級のオオゴマダラです。ユッタリと空を舞っています。
たくさんある横道にも花をいっぱい見かけます。(左下)
真珠道(ままだみち)と言う美しい名の街道は、琉球王朝時代の16世紀に作られた首里から那覇港にかけての約9kmのルートです。
真珠道が作られた時代背景として13世紀から16世紀に朝鮮半島や中国大陸沿岸で活動していた「倭寇」と呼ばれる海賊が外海からの脅威であり、中国をはじめとする外国との窓口となっていた那覇港周辺は琉球王府にとって重要な拠点で、防衛のための軍用路が必要だったと言うことがあります。
そのルートは、首里城の敷地内にある守礼門の東南脇にあった石門を起点に、守礼門脇の石門から金城坂(かなぐすくひら/現在の金城町石畳道)、識名坂(しきなひら)、真玉橋(まだんばし)、石火矢橋(いしひやばし)、豊見城城下の東北側、小禄の丘の中腹を通り、那覇港の南側に位置する垣花(かきのはな)の屋良座森城(やらざむいぐしく)にいたるものだったと言われています。
識名坂辺りでアスファルト舗装の下から昔の真珠道の石畳が発見されたりもしていますが、真珠道全行程の下部のほとんどは現在舗装道路に隠れされています。でも、その道沿いには多くの史跡が残っていて興味深いルートです。今日は識名園まで歩いて見たいです。
当時の真珠道の様子がよく残る金城町石畳道を下りきって、識名坂に差しかかる地点にいます。大きな道の面し首里殿内と言うレストランが右手に有り、左手にある小さな公園にはアカバナー(ハイビスカス)を浮かせた石の鉢があります。(下)ここからの識名坂は普通の舗装道路ですが、今度はいきなりの急登です。上は、その坂の途中から松城中学校越しに金城町石畳道や首里城方向をふり返った景色です。アカバナーの鉢を撮った公園は一番低い辺りです。
上りきって変則的な交差点があり女子中学生に識名園への道を確認します。しばらく行って大通りに出てまたわからなくなり、立ち話してるおばさんたちに聞いて、左に識名宮と言う神社方向へ向かいます。その辺りから上りになり、頂上一帯が広い墓地団地になっている中を進みます。門中墓(父系の親戚が入る墓)が多いし、その前で宴会もするしと行った理由で一つの墓自体が巨大です。そんな巨大墓が延々と広がって道の両側にあるんです。
そんなお墓の山を下りきった辺りに識名園が有りました。遠くて今日来るのを諦めかけたのですが、何とか閉園前に回れそうな時間に着きました。
琉球王家の別邸で、外国使節などの接待にも使われた施設です。大きな池を前にいろんな沖縄風建造物が建っています。その周りは鬱蒼とした、でも手入れが行き届いたジャングルが取り囲んでいます。
いきなり立派なガジュマルのトンネルです。(上)
1本のガジュマルからたくさんの気根が生えて、それ自体で1つの森です。(下)
ジャングルが夕陽に映えます。
池と宮殿に出ます。
ちょっと新宿御苑的なユッタリ感です。(上)
奥の方に展望台があり広大な景色が見渡せます。島なのどこにも海は見えません。中国からの使節に沖縄を大きく見せてなめられない様にする効果を狙ったと言われています。(下)
帰り道もジャングル通過です。クワズイモが亜熱帯感を醸し出してますねぇー!
なかなかトロピカルないい庭園でした。ゆっくりまた来たいものです。
ここからはタクシーで宿に戻りましたが、例のお墓マウンテンを通過しました。
すると、運転手さんが自分が経験した「沖縄お墓話」を始めました。広くともこの様な街中の墓は大丈夫だけど、田舎の墓は怖いよー!って話でした。田舎である日乗せたお客さんの家が墓場の奥にありひどく不気味だったそうです。普通、家って墓場の前にあるのに、逆に墓場の裏にある一軒家ってのがとても怖いシチュエーションだったんだそうです。運転手さんみたいに上手く言えないけど、怖楽しかったです。
真珠道前半だけだけど、余計に首里駅から首里城公園分も歩きだったから随分歩けました。しかも伊勢崎でランチビアの後ですからね。そうそう、午前中壺屋のやちむん通り往復もしたしー。
1日沖縄楽しんだなぁー。皆んなとする旅もいいけど、1人旅もしみじみいいよ。
まあ、今日はまだ終わったわけじゃない。最後の那覇ナイトを楽しもう!
2019-12-09 11:59
nice!(47)
コメント(2)
立派な石畳の道です。★★★
守るのが大変そう。
by 夏炉冬扇 (2019-12-12 07:52)
そうですね。生活道路としても使われているんです。石畳道のある近くの大アカギの上の崖が崩れそうで、補修工事してました。急な斜面なところもあります。
by モリガメ (2019-12-12 08:21)