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最初なのに最終直前 first but just before the last [八十里越え]

10月17日

コロナ禍でことしの八十里越え体感バスツアーは、大減便になってしまいました。私にとっては今日と10月24日の2回だけのガイドです。今日は貴重なラス前のガイドです。
1日便で八十里越工事用道路を越え只見町を見学し、六十里越(国道252号線ルート)を回って帰る予定でした。
その今日のツアーも昨晩からの大雨、大風で八十里越工事用道路が通れません。険しい山道で未完成の工事用道路なので悪天候だと通れないのです。
そんなわけで往復六十里越ルートで只見町に行きます。肝心の八十里越はガイド出来ません。残念!

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栃尾、魚沼市、只見町と六十里越ルートを来て、峠を越えて只見町に入ってすぐが田子倉湖です。
ダムサイトの展望台です。湖面に小さな島が現れています。よく見ると階段が左側にありますが階段の先には何もない不思議島です。これは湖底に沈んだ田子倉集落の若宮八幡神社の階段です。神社そのものは水没前に上の道路脇に移築されています。
この小島はしかも雪解け頃など水の多い時には水没して見えないのです。だから私はこの展望台に来ると必ずこの不思議島をチェックするんです。

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田子倉湖は水量豊富な大きな湖です。(上)
辺りの山はしただより随分高く紅葉も始まりかけています。(下)

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只見町の中心部や叶津番所も通過して、河井継之助記念館に直行します。(下)
左上は河井継之助が購入したガトリング銃の真正面から見た模型です。
右上は河井継之助の西日本遊学中に書いた「塵壺」という日記帳です。小さな日記帳に細々と長崎までの旅の様子が書かれています。備中松山藩の山田方谷を師と仰ぎ訪れたのがこの旅の目的で、山田方谷の教えがその後に長岡藩の大改革に生かされています。

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記念館のそばに河井継之助の墓があります。只見川沿いで荼毘に伏した遺骸の灰を集め葬られています。長岡市内にも河井継之助の墓はあります。
只見川に注ぐ小さな塩沢川沿いの木です。この川を上ってすぐに医王寺の裏に墓はひっそりとあります。

只見町中心部に戻り「みな川」と言う旅館でオコワ山菜定食をいただき帰路に着きました。

肝心の八十里越工事用道路に行けず残念でした。兵庫県の尼崎から朝日新聞の記事を見て来られたお客さんもおられたんですけどね。旅にはハプニングがつきものだ!と言う旅慣れた方でした。明日は親知らず子知らずの海岸を歩かれるとのことでした。

次回は私の今期最終ガイドツアーです。いい天気に恵まれますように!

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夏炉冬扇

河井継之助。テレビの番組でみたとおもいます。

by 夏炉冬扇 (2021-10-23 20:29) 

モリガメ

司馬遼太郎が「峠」で紹介してます。
by モリガメ (2021-10-23 21:49) 

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