芭蕉もいいしマン・レイも Basho is nice and Man Ray is also. [日記]
9月3日
新潟駅近くの美術館のチケットがあるのでと誘っていただき、田上町の「道の駅 たがみ」で待ち合わせしました。そしていつもよく遊んでる3人で珍しく芸術鑑賞に行くのです。最近出来た道の駅で駅名が短いのでいいですね。田上町近隣の美味しいモノを揃えているんで嬉しいです。田上町は梅やタケノコが名物らしいです。帰りにここで梅ソフトを食べました。
敦井美術館です。北陸ガスなどの創業者関連の美術館らしいです。
荻原井泉水と言う奥の細道研究家の「奥の細道俳画展」でした。
まあ絵があるから文字だけじゃ無くて親しめるって感じでした。
おかげで松尾芭蕉ってやっぱりいいなぁと多少理解出来る展覧会でした。
この春の野尻湖ワカサギ釣りで「一茶記念館」に寄ったらすっかり一茶ファンになりましたが、芭蕉もすごいぜって感じです。
有名な、例えば山寺で詠んだ「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」なんて出てくると嬉しくなっちゃたりしたわけです。
そして名句の数々ですが、なぜかこの日は「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」と言う句が心に沁みました。「親知らず子知らずを過ぎた市振の関の宿で、襖一枚隔ててお伊勢参りに行く二人の新潟の遊女とそれを送って来たらしい年寄りがボソボソ喋ってるのを聞いている。」みたいな妙にほのぼのした情景です。お堅く厳しい感じのする芭蕉の句の中で、なんとも不思議な雰囲気です。そしてこのことを同行の曾良に伝えたら曾良がそれを彼の紀行文に書き留めたって、ちゃんと奥の細道に載っています。ところがこの市振での一件は几帳面だけが取り柄な曾良の紀行文には全く載っていないんだそうです。妙だなぁ?芭蕉を敬愛する曾良が勝手に忖度したんでしょうか?
さて、芭蕉に満足した我々は舌も満足したくなります。
と言うことでピア万代にある佐渡の回転寿司・弁慶に行きました。この頃ピア万代に来て無かったのですが人が多いのに驚きます。弁慶も混んでいて待ち時間長そうでした。すると何と新たに「別館立ち食い 弁慶」などと言うのが建ってました。助かるねー!そして美味かったです。
芸術ついでに、帰り方向の県庁近くに総合建設コンサルタント・(株)キタックのやっている知足美術館があるので寄ってみます。広重の「東海道五十三次」全55図を収蔵しているところなんで寄ったのですが、別の企画展をしていて見ることが出来ませんでした。よく考えれば小さい美術館では収蔵品をいつも展示することのスペースがないのでしょうがないですね。広重展はほぼ3ヶ月おきくらいに見せているそうです。
そう言えば敦位美術館でも、横山大観、河合玉堂、小林古径・・・と錚々たるラインナップなんですが、今の企画展期間常設展示は無いとの断り書きがありました。
知足美術館の階段を上っている時、たまたま重さに耐えかねたサンダルが壊れてしまった人がいました。(下)凄い足!さすがに知足と関心したのですが、知足美術館の名前の由来にはもっと深い意味があるそうです。
傘を忘れた人がいたので先ほどのピア万代に戻りました。もうすっかり芸術鑑賞モードになっているので、戻りついでに、新潟市美術館へ行くことにしました。信濃川を渡って西大畑に行きます。今盛んにテレビコマーシャルでここの「マン・レイと女性たち」展の宣伝をしています。見たかったのでいいチャンスでした。ここはさすがにマン・レイ企画展だけじゃなく、別に常設展や全日写連新潟支部の20周年記念写真展などまでありました。
「マン・レイと女性たち」はニューヨーク時代からパリ時代まで生涯を通した作品がそろいとても濃厚なものでした。ちょっと疲れるほどのボリューム感でした。よかったですよー。
マン・レイは20世紀初頭のダダ・シュールレアリスムのアーティストです。画家であり、彫刻家であり、映画も作り何よりも写真家と多才な人です。そして今にも通じる新しい挑戦も果敢にチャレンジしています。
ガチに力の代表作も勢ぞろいしてる作品展でしたが、私はカトリーヌ・ドヌーブのポートレートにホッとしました。彼がこだわりった螺旋状のイヤリングも控えめでいいですよ。
売店に巨大唇が空に浮いている代表作の一つをプリントしたTシャツがありました。かっこいいなと思ったのですが、それなりに高いし第一着る勇気ないからやめました。ローリングストーンズのベロマークのTシャツより刺激的でかっこいいんだけどさすがに自分で着るのはねー!
全日写連の写真展は、まあ写真好きが楽し気にやってるなぁって感じでした。でもいい作品もいろいろありましたよ。
常設展のほうですが、1913年五泉市生まれの阿部展也というシュールレアリスム作家の作品がありました。戦前から前衛的な写真や絵を作っていた天才です。戦時中は陸軍報道部写真班員としてフィリピンに徴用され、記録写真を撮影していたそうです。英語も得意な人だったらしいです。敗戦後ルソン島北部の山に逃げ込んだのですが、米軍に捕まった後は1946年末まで収容所生活をしていたそうです。私の父は阿部氏とほぼ同年代の生まれで戦争中もルソン島北部のバギオという景勝地で英語の教師をしていました。父も敗戦で山中を逃げ回りその後米軍の収容所暮らしをしています。収容所内で米軍の通訳をしていました。なんかそんな中で阿部さんと接触が無かったのでしょうか?収容所で母の親戚に出会い随分その方をお世話するようなこともあったらしいです。案外収容所は狭い世界だったのかも知れないです。捕虜つながりとか、同じ新潟生まれとか、英語つながりとかそんなことがあったような気がします。ちょっとマン・レイと関係なくなりましたが不思議な話です。
「マン・レイと女性たち」はいいけど「モリガメと女性たち」はどうなんよ!と言う厳しい突っ込みがありました。うかつなことは言えないので「貴女方女性たち」次第でモリガメも生かされるでしょうと逃げました。
まあ、今日はおかげさまでいいものをたくさん見れました。今後「奥の細道」でも巡りますかね。
新潟駅近くの美術館のチケットがあるのでと誘っていただき、田上町の「道の駅 たがみ」で待ち合わせしました。そしていつもよく遊んでる3人で珍しく芸術鑑賞に行くのです。最近出来た道の駅で駅名が短いのでいいですね。田上町近隣の美味しいモノを揃えているんで嬉しいです。田上町は梅やタケノコが名物らしいです。帰りにここで梅ソフトを食べました。
敦井美術館です。北陸ガスなどの創業者関連の美術館らしいです。
荻原井泉水と言う奥の細道研究家の「奥の細道俳画展」でした。
まあ絵があるから文字だけじゃ無くて親しめるって感じでした。
おかげで松尾芭蕉ってやっぱりいいなぁと多少理解出来る展覧会でした。
この春の野尻湖ワカサギ釣りで「一茶記念館」に寄ったらすっかり一茶ファンになりましたが、芭蕉もすごいぜって感じです。
有名な、例えば山寺で詠んだ「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」なんて出てくると嬉しくなっちゃたりしたわけです。
そして名句の数々ですが、なぜかこの日は「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」と言う句が心に沁みました。「親知らず子知らずを過ぎた市振の関の宿で、襖一枚隔ててお伊勢参りに行く二人の新潟の遊女とそれを送って来たらしい年寄りがボソボソ喋ってるのを聞いている。」みたいな妙にほのぼのした情景です。お堅く厳しい感じのする芭蕉の句の中で、なんとも不思議な雰囲気です。そしてこのことを同行の曾良に伝えたら曾良がそれを彼の紀行文に書き留めたって、ちゃんと奥の細道に載っています。ところがこの市振での一件は几帳面だけが取り柄な曾良の紀行文には全く載っていないんだそうです。妙だなぁ?芭蕉を敬愛する曾良が勝手に忖度したんでしょうか?
さて、芭蕉に満足した我々は舌も満足したくなります。
と言うことでピア万代にある佐渡の回転寿司・弁慶に行きました。この頃ピア万代に来て無かったのですが人が多いのに驚きます。弁慶も混んでいて待ち時間長そうでした。すると何と新たに「別館立ち食い 弁慶」などと言うのが建ってました。助かるねー!そして美味かったです。
芸術ついでに、帰り方向の県庁近くに総合建設コンサルタント・(株)キタックのやっている知足美術館があるので寄ってみます。広重の「東海道五十三次」全55図を収蔵しているところなんで寄ったのですが、別の企画展をしていて見ることが出来ませんでした。よく考えれば小さい美術館では収蔵品をいつも展示することのスペースがないのでしょうがないですね。広重展はほぼ3ヶ月おきくらいに見せているそうです。
そう言えば敦位美術館でも、横山大観、河合玉堂、小林古径・・・と錚々たるラインナップなんですが、今の企画展期間常設展示は無いとの断り書きがありました。
知足美術館の階段を上っている時、たまたま重さに耐えかねたサンダルが壊れてしまった人がいました。(下)凄い足!さすがに知足と関心したのですが、知足美術館の名前の由来にはもっと深い意味があるそうです。
傘を忘れた人がいたので先ほどのピア万代に戻りました。もうすっかり芸術鑑賞モードになっているので、戻りついでに、新潟市美術館へ行くことにしました。信濃川を渡って西大畑に行きます。今盛んにテレビコマーシャルでここの「マン・レイと女性たち」展の宣伝をしています。見たかったのでいいチャンスでした。ここはさすがにマン・レイ企画展だけじゃなく、別に常設展や全日写連新潟支部の20周年記念写真展などまでありました。
「マン・レイと女性たち」はニューヨーク時代からパリ時代まで生涯を通した作品がそろいとても濃厚なものでした。ちょっと疲れるほどのボリューム感でした。よかったですよー。
マン・レイは20世紀初頭のダダ・シュールレアリスムのアーティストです。画家であり、彫刻家であり、映画も作り何よりも写真家と多才な人です。そして今にも通じる新しい挑戦も果敢にチャレンジしています。
ガチに力の代表作も勢ぞろいしてる作品展でしたが、私はカトリーヌ・ドヌーブのポートレートにホッとしました。彼がこだわりった螺旋状のイヤリングも控えめでいいですよ。
売店に巨大唇が空に浮いている代表作の一つをプリントしたTシャツがありました。かっこいいなと思ったのですが、それなりに高いし第一着る勇気ないからやめました。ローリングストーンズのベロマークのTシャツより刺激的でかっこいいんだけどさすがに自分で着るのはねー!
全日写連の写真展は、まあ写真好きが楽し気にやってるなぁって感じでした。でもいい作品もいろいろありましたよ。
常設展のほうですが、1913年五泉市生まれの阿部展也というシュールレアリスム作家の作品がありました。戦前から前衛的な写真や絵を作っていた天才です。戦時中は陸軍報道部写真班員としてフィリピンに徴用され、記録写真を撮影していたそうです。英語も得意な人だったらしいです。敗戦後ルソン島北部の山に逃げ込んだのですが、米軍に捕まった後は1946年末まで収容所生活をしていたそうです。私の父は阿部氏とほぼ同年代の生まれで戦争中もルソン島北部のバギオという景勝地で英語の教師をしていました。父も敗戦で山中を逃げ回りその後米軍の収容所暮らしをしています。収容所内で米軍の通訳をしていました。なんかそんな中で阿部さんと接触が無かったのでしょうか?収容所で母の親戚に出会い随分その方をお世話するようなこともあったらしいです。案外収容所は狭い世界だったのかも知れないです。捕虜つながりとか、同じ新潟生まれとか、英語つながりとかそんなことがあったような気がします。ちょっとマン・レイと関係なくなりましたが不思議な話です。
「マン・レイと女性たち」はいいけど「モリガメと女性たち」はどうなんよ!と言う厳しい突っ込みがありました。うかつなことは言えないので「貴女方女性たち」次第でモリガメも生かされるでしょうと逃げました。
マン・レイや ああマン・レイや マン・レイや
まあ、今日はおかげさまでいいものをたくさん見れました。今後「奥の細道」でも巡りますかね。
2022-09-06 18:06
nice!(41)
コメント(7)
藝術バンザイ。
お寿司バンザイ。
by 夏炉冬扇 (2022-09-07 15:58)
芭蕉の別な一面が分かってよかったですね。津軽海峡わったって来ないかな。ここは何でも置き去り。文化からほど遠いところです。
by JUNKO (2022-09-07 17:32)
見て、食べていろいろ感じる秋ですね。
北海道は何ってったって自然がいいじゃないですか!
by モリガメ (2022-09-07 18:51)
美術館のハシゴって珍しいですね。
by そらへい (2022-09-07 20:59)
そうですね。何か次々に見てみたいモードに入っちゃったわけです。
by モリガメ (2022-09-08 02:41)
知足美術館でサンダルが壊れてしまった人のその後を心配してしまいます。
by 我流麺童 (2022-09-08 06:52)
ご心配ありがとうございます。マスクのヒモで縛って新潟市美術館は見学してました。なんとかなったようです。
by モリガメ (2022-09-08 10:25)