平安時代日本最大遺跡群の探検 expedition of Japan's largest ruins in Heian period [スポーツ、ヘルス]
3月20日
ごめんなさい。長くなります。
横浜線相原駅近くに見える白梅の山へ行きたくて、google で調べていたら平安時代の遺跡群があることがわかりました。google mapではイマイチわからないので、ジョギングを兼ねて探検することにしました。
道を迷ったこともあり、結果的に2時間半、6〜7kmのトレランになりました。ルートに沿って書きます。
兵衛川を相原方向へ行きます。
今はハナモモが盛りです。
マグノリアも盛りで、紅梅もまだ残っています。川沿いの家々の花を撮りながら行きます。
道々壁のシミなど目につくものも撮りながら、横浜線のガードをくぐります。
七国方向の坂を上ります。家々は朝日を受けて輝いています。
坂の上の雑木林に八王子・町田(相原)の境があり、そこを越える道を探します。
google mapで目星をつけたのは、営業をやめたドッグランの奥ですが、いまいちルートが途切れていて実際に行かないとわからないんです。
下はドックランからくる道です。左上は七国峠方向の道です。
雑木林に入ろうとするとキブシの花が目につきました。
標識の手前で右に行く道はいり、違うかなと戻ったら標識が有りました。さて、その標識ででは道が2択あるんです。結局、左は来た方向で違うけど、真っ直ぐの階段のある方向か右の細い方です。右に行きまして、それが正解でした。ここではドックランから相原方向へ行く道と、尾根伝いに横浜線の方から七国峠へ向かう道が交差していたのです。この件については図にしてみました。上の写真が相原方向、左の写真の右が相原方向で左の階段が横浜線方向です。右下は顔に見える変な木です。
真っ直ぐ相原方向へと行くと野球場っぽい空き地があり、その先には車道が来ています。
開けた場所にはハナダイコンが咲いています。3月というのにもう咲いています。
開けた場所に出ます。陽田川という小さな川が
畑と奥の宅地を隔てています。白梅も咲いています。南向きの明るい畑です。
「七国・相原特別緑地保全地区」の説明看板があります。この保全地区に八王子市と町田市の境があります。
畑と雑木林の間を横浜線方向に向かいます。
御殿峠古窯群跡の説明があります。
平安時代この辺りに瓦や須恵器を焼く200基以上の窯があり、陽田川源流部だけで数十基があったそうです。平安時代では日本最大級な規模だったようです。この先には「かわらけ谷戸」という名のたにもあるほどです。随分と賑わったところだったのですね。
右手畑の向こうには相原、橋本方面が見通せます。横浜線も見えます。
畑にいた方に、横浜線に沿ってみなみ野方面に出る道があると聞きました。そちらに向かうことにします。
畑を離れて雑木林に入り木の橋を渡ると急な上り坂になります。ちょっとしたトレラン気分です。
町田側は標識も整備されていていいのですが、八王子側は標識があまりありません。T字路に出てどっちに行くべきかわかりません。とりあえず右に行ってみましたが、どうも横浜線を越しそうなので戻ります。下に下りる道もあったのですが、これは東京造形大学敷地にぶち当たります。(上)仕方ないのでT字路に戻り逆方向へと行きます。こちらは幼稚園の広い裏山になっています。そのヘリからみなみ野、八王子側が見晴らせるところがありました。(中、下)広々したみなみ野のニュータウンです。この開発によってかつての自然や歴史が失われたのですね。御殿峠古窯群跡のような遺跡があるということは、それを取り巻くいろんな暮らしがあったのでしょうからね。八王子から横浜へ絹を運んだ「絹の道」と言われるルートは鑓水の方を通っていたらしいですが、今日通った道も広い意味でそんな道の一つかもしれないです。
幼稚園の裏山も広くて、結局出発点のドッグランに戻ることになりました。標識の問題はあったけどしただ郷の山のような薮漕ぎなんてことは無く、道自体はよく刈られていて走りにくいということは無かったです。
歴史気分、探検気分が軽く味わえて楽しかったです。
ごめんなさい。長くなります。
横浜線相原駅近くに見える白梅の山へ行きたくて、google で調べていたら平安時代の遺跡群があることがわかりました。google mapではイマイチわからないので、ジョギングを兼ねて探検することにしました。
道を迷ったこともあり、結果的に2時間半、6〜7kmのトレランになりました。ルートに沿って書きます。
兵衛川を相原方向へ行きます。
今はハナモモが盛りです。
マグノリアも盛りで、紅梅もまだ残っています。川沿いの家々の花を撮りながら行きます。
道々壁のシミなど目につくものも撮りながら、横浜線のガードをくぐります。
七国方向の坂を上ります。家々は朝日を受けて輝いています。
坂の上の雑木林に八王子・町田(相原)の境があり、そこを越える道を探します。
google mapで目星をつけたのは、営業をやめたドッグランの奥ですが、いまいちルートが途切れていて実際に行かないとわからないんです。
下はドックランからくる道です。左上は七国峠方向の道です。
雑木林に入ろうとするとキブシの花が目につきました。
標識の手前で右に行く道はいり、違うかなと戻ったら標識が有りました。さて、その標識ででは道が2択あるんです。結局、左は来た方向で違うけど、真っ直ぐの階段のある方向か右の細い方です。右に行きまして、それが正解でした。ここではドックランから相原方向へ行く道と、尾根伝いに横浜線の方から七国峠へ向かう道が交差していたのです。この件については図にしてみました。上の写真が相原方向、左の写真の右が相原方向で左の階段が横浜線方向です。右下は顔に見える変な木です。
真っ直ぐ相原方向へと行くと野球場っぽい空き地があり、その先には車道が来ています。
開けた場所にはハナダイコンが咲いています。3月というのにもう咲いています。
開けた場所に出ます。陽田川という小さな川が
畑と奥の宅地を隔てています。白梅も咲いています。南向きの明るい畑です。
「七国・相原特別緑地保全地区」の説明看板があります。この保全地区に八王子市と町田市の境があります。
畑と雑木林の間を横浜線方向に向かいます。
御殿峠古窯群跡の説明があります。
平安時代この辺りに瓦や須恵器を焼く200基以上の窯があり、陽田川源流部だけで数十基があったそうです。平安時代では日本最大級な規模だったようです。この先には「かわらけ谷戸」という名のたにもあるほどです。随分と賑わったところだったのですね。
右手畑の向こうには相原、橋本方面が見通せます。横浜線も見えます。
畑にいた方に、横浜線に沿ってみなみ野方面に出る道があると聞きました。そちらに向かうことにします。
畑を離れて雑木林に入り木の橋を渡ると急な上り坂になります。ちょっとしたトレラン気分です。
町田側は標識も整備されていていいのですが、八王子側は標識があまりありません。T字路に出てどっちに行くべきかわかりません。とりあえず右に行ってみましたが、どうも横浜線を越しそうなので戻ります。下に下りる道もあったのですが、これは東京造形大学敷地にぶち当たります。(上)仕方ないのでT字路に戻り逆方向へと行きます。こちらは幼稚園の広い裏山になっています。そのヘリからみなみ野、八王子側が見晴らせるところがありました。(中、下)広々したみなみ野のニュータウンです。この開発によってかつての自然や歴史が失われたのですね。御殿峠古窯群跡のような遺跡があるということは、それを取り巻くいろんな暮らしがあったのでしょうからね。八王子から横浜へ絹を運んだ「絹の道」と言われるルートは鑓水の方を通っていたらしいですが、今日通った道も広い意味でそんな道の一つかもしれないです。
幼稚園の裏山も広くて、結局出発点のドッグランに戻ることになりました。標識の問題はあったけどしただ郷の山のような薮漕ぎなんてことは無く、道自体はよく刈られていて走りにくいということは無かったです。
歴史気分、探検気分が軽く味わえて楽しかったです。