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両郡橋 Inter-county Bridge [母とのこと]

8月30日

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燕三条エフエムでの仕事を終えて白根に向かいます。中之口川沿いに下り、途中、六分の家に寄ります。母の実家です。3〜5才をここで過ごしました。子供の頃のまともな記憶はここから始まります。大きな森の中に大きな屋敷がありました。今は荒れた庭ですが、私のいた頃はまだ大小の大きな池があり立派な庭でした。台所の前にフクロウが巣を架ける大きなケヤキあり怖かったです。何しろいろいろ冒険出来る広い森でした。
上のカットにある森の手前の原っぱは田んぼでした。こっち側は裏で、表の方には昔門番が中に住んでいたという大きな門がありました。屋敷の周りは堀に囲まれています。
左下の板を渡した橋は私の外界との出入り口です。
堀も時が経ち浅くなり草も茂っています。右下のカットに堀と庭の池との水の取り入れ口が見えます。当時金網で仕切られていましたが、ここからライギョが侵入して中の池で大魚に育ってました。それを捕まえて大人が大広間に集まって解体してたのを覚えています。

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上は両郡橋と言う名の橋です。かつての西蒲原郡と中蒲原郡に架かるのでその名があります。これは3代目の橋で、初代の両郡橋は私の母方の曾祖父さんが1890年(明治23年)に架けました。今は両岸とも新潟市に合併して、手前は西蒲区、向こうは南区です。
曾祖父さんの娘が対岸の分家に嫁ぐことになったのですが、橋を架けてくれないと嫌だとごねて架けさせたと言う話が身内に伝わっています。表向きには地元の発展に尽くしたみたいになってると思います。何しろこの人も当時の国会議員だったらしいですからね。知らんけどー
下はその両郡橋の土手から見た六分の家の森です。左奥は弥彦山です。

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