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毎日の草刈り mowing the grass every day [ファーム・モリガメ]

7月18日

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夏は草も元気で草刈りも毎日しないといけません。家の周りも、

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畑の中も毎日刈り払い機で草刈りです。(中下)
野菜もどんどんなりますが、食べる方は追いつきません。まあ美味しいからいいですけどもったいないです。(左下)上と右下は近所の畑の縁にたくさん咲いているユリです。この頃ありませんが、この辺りで盛んだったユリ栽培の名残りです。見るだけですが得させてもらってます。


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ちょっと収穫 a little harvest [ファーム・モリガメ]

7月15日

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夕方になってから畑にちょっとだけ収穫に行きました。
夏は野菜が次々大きくなってちょっとだけといっても、こんなにたくさん収穫するようになります。一人じゃ食べきれないです。(左下)多少雨がパラついて、サトイモの葉も水滴がついてます。(右下)もう暗くなりかけなんで、さっさと帰ります。粟ヶ岳に孫悟空のキントン雲みたいにニョロっとした雲がかかってます。(上)
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夏野菜で元気! get healthy with summer vegetables! [クッキング・食]

7月13日

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暑いので草がどんどん伸びます。今日も畑の草刈りが欠かせません。(右下)汗を大量にかくのでこまめな水分補給が必要ですが、汗とともに流出したミネラルも補充しないといけません。食塩、カリウム、クエン酸など含んだタブレットも齧りながら水を飲みます。(右上)畑の上の斜面にきれいなユリの株を見かけます。野生のユリではなく、以前この辺りで栽培されていた園芸品種の名残りのようです。

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暑さにともないゴーヤーはじめ夏野菜がよく採れます。(右上)夏野菜カレー食べて元気いっぱいです。一からカレーを作るのは手間なんで、レトルトの安いキーマカレー(左上)にインゲン、ゴーヤーなど大量の夏野菜や牛乳やカレー粉などを足してオリジナルカレーにします。(右下)昨日午前中に来た友だちにもらった「菜果亭」の「流れ梅」がサッパリしてカレーの食後にピッタリでした。(左下)意外な食べ合わせに驚きでした。

7月14日

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プラウ PLOW新発田店に頼んでおいた道具が届いたとのことで、取りに行きました。ここでは薪割り機、除雪機、刈り払い機など結構買い物をしています。アウトドア向けの機器をいろいろ展示販売していて店内を見ていて楽しいです。これはチェーンソー・アートの動物たちです。(左上)PLowからの帰り、同じ新潟県道3号新潟新発田村上線沿いに、スーパー尾山という店があります。(右上)雑然とした小さなスーパー(?)なんですがいつもなぜかにぎわっています。特に安いわけでもないですが、品揃えが変で物好きな客が覗きに来ているようです。アヒルの血を固めた中華食材なんて変なのまであります。買わなかったですが阿賀野川のシジミなんてのが気になってしょうがなかったです。松浜でお寺ヨガの後は実家泊まりです。スーパー尾山で買った箱のワインとキンミヤ焼酎(左下)をやりながらゴーヤーチャンプルーで晩飯です。


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川霧の阿賀野川 river mist on the Agano River [自然]

7月11日

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木崎の病院予約なんで来てます。

7月12日

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昨日松浜の実家に泊まったんですが、今日午前中しただの家に来るんで早朝のうちに戻ります。忙しいけど川霧の阿賀野川が見れてよかったです。

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白新線と日東道の間に大きな中洲があって、その上流側にサギのコロニーがあります。川霧とサギたちがいいですね〜!阿賀野川の自然を感じます。

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しただの家に友だちが来てくれましたが、その後畑です。草も刈らないと、キュウリも採らないと!

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畑仕事一段落して加茂の「どらねこ洞」へ行きました。やっとのんびり出来ます。ここでまた別のお友だちと落ちあって食べて、コーヒー飲んでお喋りして楽しいねぇ〜!
オス猫です。(左上)ちゃんと付くもの付いてます。今日は「絶滅のパスタ」ランチです。(左下)美味しいです。店内のこの妙な絵が私に似ていると言われています。「俺ってこんな変?」(右下)支払いしようとしたら新札(北里柴三郎です。)でした。(右上)

こんなふうに忙しいけど楽しい一日でした。


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ブルーベリー・ジャム Blueberry Jam [クッキング・食]

7月10日

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友だちにブルーベリーをたくさんいただきました。ジャムにしました。生食よりジャムが美味しいね〜!

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物心ついた頃このお城に住んでいました。As far as I can remember, while I was baby, I lived this Castle. [母とのこと]

7月8日

先ほど白根図書館で見つけた本に母の実家の記事を見て思い出したことを少し書いて見ました。3〜5歳頃過ごしたところです。これ以前は新潟市内の新大医学部のグランドを見下ろす旭町の、「山の家」と皆んなが呼んでいた住まい兼オフィス、に居たと思います。こっちは本家の家族が住んでいました。ここでの記憶はかなり曖昧模糊です。2階から見る新潟祭りの花火が死ぬほど楽しかったことを覚えているくらいかなぁ!隣に田上の田巻さんと言う大地主のお屋敷がありました。同じ年頃の子もいたんだけど、一人で遊びに行くのはハードル高かったです。

「越後 豪農めぐり」と言う新潟日報事業社(現 新潟日報メディアネット)発行(1986年初版)の本です。
左上表紙は他の大地主お宅の写真です。
うちなんかは、以前祖父が新潟日報の前身になる会社の一つである新潟新聞社社長だったせいで載ったんでしょう。祖父は私が生まれる1年前に死んでいるので会ったことはありません。

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この家はこの辺にあった村上藩の土地を差配していた地主です。戦後の農地改革以前にはたいそうな農地、山林を持っていたらしいです。それでも巻から西蒲区、加茂、三条辺りにだいぶ残っていたようです。うちは本家じゃないので関係無いです。「しただに住むんだったら山くらいやったのに!」などと本家の従弟にバカにされましたよ。まあいいけど!
屋敷は堀に囲まれて、中に門番さんが住んでいた門がありました。それが下のカットです。私は農地改革以前の屋敷は知りませんが今の倍の大きさはあったようです。その半分でも総檜作りの風呂や3頭分ほどの牛馬の小屋の脇の風呂がありました。右上のカットの土蔵の右側にありました。私は檜の匂いが臭くて牛舎側の風呂の方が好きでした。牛舎は堀を出た田んぼ側にもう一つあり、鋤を使って田を耕していました。土蔵の左は台所、大食堂、女中部屋、大きな仏間、母と寝起きしていた部屋なんかに繋がってました。母と暮らしていた部屋から途中に便所があるほど長い廊下の先に母屋側にあるのとは別の仏間がありました。千利休なんかのイメージだと狭い部屋ですが、茅葺き屋根の一軒屋って感じのデカい茶室が端にありました。田舎だねぇって京都の人には笑われるかも?茶室までの通路に無造作にいろんな人からもらった引き出物が突っ込まれていて小さな私も通り抜けに困るほどで、大人が来たりしません。茶室との行き来は私の秘密の探検路でした。土蔵の前に写っているのはケヤキの超古木でフクロウが長根棲みついて人を脅すので怖かったです。多分フクロウの繁殖期だったんでしょう。まあともかく、いろんな大人に可愛がってもらえて結構楽しい時代でした。しかし、その一人王子様時代は後から現れた妹に奪われたのでした。ジャンジャン!そしてその後、私たち家族は八王子へと住まいを移すのです。と言った具合で、次から次へと思い出したらきりが無いのでまた気が向いたら書かせていただきます。長々とすみませんでした。第一、王子様は本家の従弟なわけだし〜ね。
ほとんどが記事には無い私の思い出話を書いちゃいました。



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三条→月潟→白根→新発田→松浜 Sanjo → Tsukigata → Shirane → Shibata → Matsuhama [新潟]

7月8日

正確には、三条→(加茂)→月潟→白根→新発田→松浜ですが、随分と寄り道してしただの家から松浜の実家へ行きました。

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これは月潟の町です。昔新潟市の白山から燕まで走っていた電鉄の旧月潟駅です。(左上)旧月潟駅に隣接して角兵衛獅子神社があります。(月潟は角兵衛獅子のふるさとです。(右上)月潟に来たらいつも鳥カラを買いに寄る店です。(左下)中之口川を右岸へと渡ります。(右下)朝からずっと雨降りです。
母の実家や月潟や白根は昔の電鉄でつながっていました。小さい頃この辺は新潟市からよく通ってたので懐かしいとこです。

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白根図書館です。白根の整形外科の予約時間まで少し時間があったんで寄ってみました。ここも雨でもまだ雨です。(上)ここで、母の実家の屋敷が載った本があったので借りました。(後でその本の記事について述べます。)白根は大凧合戦の街です。図書館ロビーに凧の各組ごとの絵柄が展示されています。(下)白根だからプールで泳ぎたいところですが、まだまだ右肩が痛いので我慢です。

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白根からだと直線で40kmほど北東にあるPlow新発田店に行きました。注文しておいた林業用のプーリー(滑車)が届いたとのことだったので取りに行きました。ウインチで木を曳く時に曳く方向を変えたりするのに使います。

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松浜の日本海(左上、右上、左下)と新井郷川(右下)です。雨でも水を見てると和みます。

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松浜のお寺です。今日は19時からヨガです。

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お寺のすぐ裏が元々砂丘でその上り口に戊辰戦争の史跡があります。この急坂は母が家からスーパーに買い物に通っていた道でもあります。

ここで慶応4年(明治元年)おり悪しく通りかかった庄内藩の重臣・石原倉右衛門が近くに上陸していた新政府軍に見つかり殺害されました。実は石原蔵右衛門慶応3年江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件の首謀者で、この焼き討ち事件が鳥羽・伏見の戦いの発端となりました。そしてその後の戊辰戦争へと続いていったのです。しかも石原蔵右衛門は庄内藩の命で新潟でオランダの武器商人スネルと武器売買契約を結び藩への帰途にあったのです。
偶然とは言え奥州列藩同盟にとって因縁の出来事だったわけです。
:石原蔵右衛門の墓碑(左上)に「慶応4」の文字が見てとれます。(左下)

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