しただの城 [しただ郷自然くらぶ]
五十嵐神社は飯田城
5月12日
五十嵐小文治館跡保存会の主催で、前回高城でお馴染みの鳴海忠夫先生の講演があり、私たち「しただ郷自然くらぶ」も見学に伺いました。
五十嵐神社があるところは戦国時代後半の飯田城の城跡であり、その跡地に明治時代になり神社を移築したのが現在の五十嵐神社になっているのだそうです。飯田城は五十嵐小文治館の五十嵐氏の居城で、館と城は対をなす遺跡なのだそうです。この2つの遺跡を先生に解説いただき見学しました。飯田城の土塁や空堀の屈折具合や、五十嵐小文治館の掘割の凹んだつくりから天正年間(1573~92年)の特徴を見出し、そのことから五十嵐氏は五十嵐氏はそのころまで続いたのではないかと先生は推察されておられます。さらに御舘の乱によって滅亡したのではとも考えておられます。土塁や堀の凹凸からそこまでの推察する「山城研究家」の逞しい想像力に関心させられました。
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5月12日
五十嵐神社裏手の土塁と空堀
五十嵐小文治館跡保存会の主催で、前回高城でお馴染みの鳴海忠夫先生の講演があり、私たち「しただ郷自然くらぶ」も見学に伺いました。
五十嵐神社があるところは戦国時代後半の飯田城の城跡であり、その跡地に明治時代になり神社を移築したのが現在の五十嵐神社になっているのだそうです。飯田城は五十嵐小文治館の五十嵐氏の居城で、館と城は対をなす遺跡なのだそうです。この2つの遺跡を先生に解説いただき見学しました。飯田城の土塁や空堀の屈折具合や、五十嵐小文治館の掘割の凹んだつくりから天正年間(1573~92年)の特徴を見出し、そのことから五十嵐氏は五十嵐氏はそのころまで続いたのではないかと先生は推察されておられます。さらに御舘の乱によって滅亡したのではとも考えておられます。土塁や堀の凹凸からそこまでの推察する「山城研究家」の逞しい想像力に関心させられました。
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2012-05-13 17:57
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