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私にとっての故郷 hometown for me [母とのこと]

4月22日

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もらい物のタケノコを毎日水を変えて保存していましたが、ついに最後です。
やはりパスタにしました。タケノコ、コシアブラ、ニラといった春のスペシャルです。美味しかった。ごっつあん!

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月潟の味噌漬けを買いに行きたいので、道順で母の実家跡に寄ってから向かいます。(上)この森の中にそれはあります。手前の草原は昔田んぼでした。
森と外の世界の田んぼとの境に堀があります。(下)今は泥や草に埋まってます。私がいた5才以前には板が2枚だけの橋でした。もう無いけど田んぼ側に牛小屋が一つありました。堀と庭の池は水路で繋がってます。

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母と私は向かいの1階で暮らしていました。右側は仏間や女中部屋などがありました。(上)さらに奥は炊事場や、大食堂になっていました。
左が仏間や座敷でちょっとした法事には30人ほど座ることもありました。真ん中辺の奥のには総檜造りの風呂場でした。確かにいい匂いがしましたが、あまり入りことは無かったです。うらの蔵の先にある風呂場によく入りました。そこから牛小屋や馬小屋に続いていました。向かいは玄関先の部屋です。この部屋からの廊下にロボットみたいな形の手回しの電話部屋がありました。(中)
私たちの居間にしていたところの手間に大きな池があり大きな赤玉石があります。ちらっと左上に写っていますが、池の水は昔と違いだいぶ干上がっています。(下)
フクロウが巣をかけるケヤキの大木、池のライギョ、蚊帳に放ったホタル、ニワトリの世話、大食堂でのニワトリの解体・・・この森の屋敷で暮らした3〜5才の間の思い出は随分と浮世離れした思い出です。

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実家から白根の中間に角兵衛獅子で有名な月潟があり、たまに銀行、図書館、味噌屋さん、鶏肉屋さんなんかに行くことがあります。今日は味噌屋さんで味噌漬けと、鶏肉屋さんでチャーシューを買いました。
上は旧電鉄月潟駅にある角兵衛獅子の像と下は駅前の月潟商店街の看板です。

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これが旧月潟駅跡でとてもよく保存されていて、昔の電鉄(新潟交通電車線)を偲ぶことが出来ます。新潟市の白山前駅から燕駅を結んでいました。主に中之口川の西岸を通っていました。月潟駅もそうで、上のカットで人が2人歩いているのが中之口川の土手です。駅舎には最近「カボ電」と呼ばれているらしいカボチャ色の車両と、ラッセル車が保存されています。下はラッセル車に付いていた鉄道省の説明文です。
私たちの親戚が「山のうち」と読んでいた新潟市の砂丘の上に建つ旭町の家と西蒲原の実家を行き来するのに乗ってました。私の極小さい時は「山のうち」と西蒲原の実家で生活していました。「山のうち」の記憶はぼーっとしていてあまり無いです。2階から新潟大医学部の校舎越しに見る新潟祭りの花火がきれいだったこと、その花火が医学部校舎が高くなって見にくくなったこと、庭の池の西洋イチジク、氷の冷蔵庫、隣の田巻って田上町の地主の家にいた同い年くらいの男の子、本家の従妹のヨダレ顔くらいかなぁ?生まれ故郷ってのはこの「山のうち」かなぁ。
そんなどっちつかずの故郷を行き来する交通機関がこの新潟交通の電鉄でした。単線で待ち合わせが多くて半日がかりの行き来でした。

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そして白根プールでひと泳ぎです。

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数えで100歳 100 years old next year [母とのこと]

11月4日

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1週間後、地域おこし協力隊向けの写真室をするので会場の旧荒沢小学校へ打ち合わせに行きました。廃校になって久しい体育館です。(左上)
午後から白根プールに泳ぎに行き(右上)、帰りは8号線沿いのゲーセンで漫画を見ながら軽い夕食をとりました。(下)ゲーセンにかかる明るい月を見ながらしただの家に帰ります。
いつもと変わらぬ日常でしたが、夜母の特養からの突然の電話で救急車で新潟市内の病院に運ばれたとのことでした。そして慌てその病院に駆けつけるともう心肺停止で、22時54分私の到着時間が死亡時刻となりました。急なことで実感ありません。特養のケアマネさん、当直医、葬儀屋さんとずっと話し相手がいてくれて平静が保てました。

11月5日

松浜の実家に葬儀屋さんの車で母を運び、そのまま3時過ぎまで今後の打ち合わせをしてから必要なものをとりにしただの家に向かいます。

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しただのパソコンに母の写真があるのでデータを探すのですが、いっぱい撮っていて探すのに一苦労でした。このブログの記事を頼りに母の写っている写真を探します。奇跡的に割にいいカットが発見出来ました。喪服などを持って松浜の実家に戻りました。お寺さんに渡す現金が手元や預金にも無いと気づき、慌ててもう一度しただと往復します。
しただに来て15年近く、畑仕事の手伝い、ツアーガイド、写真教室など・・・ほぼボランティアみたいなことで得たヘソクリが結構ありました。ちょこちょこここから引っ張り出して使っていた割に結構残っていて先ず要るお寺の払いには充分で葬儀屋さんへの支払いには少々足りない程度でした。まあ何かと現金が必要なことが続きそうなんで心強いです。浮世の沙汰にお金はねぇ〜

11月7・8日

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6日はお寺の大イベントがあり、7日通夜、8日葬儀になりました。
数えで100歳なんで母の親しい親戚友人もほとんど亡くなっているしコロナ禍なのであまり知らせず家族と従姉妹だけでこじんまりとやりました。少人数な割に通夜にも葬儀にも喪主挨拶をしたがるのは最近のツアーガイド暮らしのせいでしょう。

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母はお骨になって実家に戻りました。
皆んなが東京に帰り独りになるとさすがに寂しいです。このまま葬式が続けばいいのにとまで思いました。
松浜の新井郷川脇のスーパーにいます。寂しいけどきれいな夕焼けです。今晩はお骨の母と実家泊まりです。

11月9日

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葬式も昨日で終わりましたが、その後が届出、相続・・・と大変です。手伝ってもらう人もいなく独りでこなさないといけません。しかも季節がらしただでいろいろイベントがメジロ押しなんです。今日の八十里越ガイドは別の方に代わっていただきました。
先ずはしただに戻ります。実家の前に落ちていたモッコクの赤い落ち葉の色が目にしみます。イノチ色?(上)こっちに仏壇があるから母にはこちらにいてもらいます。
母と仲良しだったお隣のおばさんに挨拶に行ったり、喪服をクリーニングに出し、特養に母の荷物を引き上げに行き、亡くなった病院の支払いに寄ったり(左下)とすっかり夜になりました。
昨晩の皆既月食はさすがに見る気になりませんでした。昨日満月だったから今晩も明るい月です。

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ファミリーストーリー family story [母とのこと]

10月22日

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朝、昨日植え付けタマネギとアサツキに水やりに行きました。なんとか根付きそうです。

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さて先日から親戚の方から母の家系の系図を書き出したからと連絡をいただいていました。なかなか行けなかったのですが今日電話して伺うことにしました。
そう言うことが気になり出した歳頃には手遅れに近いのですが、まあ仕方ないです。
写真の書は、私の祖母の家の関係者によるものらしいです。この人がどんな人かもわかりませんが、それらしいのを撮ってアップしただけです。祖母はずーっと昔早くに死んでいるのこれまたでどんな人かわかりません。ともかく病弱な方だったとしか聞いていません。しかも私が思っていた集落とは違うところの出の方らしいことが今日わかりました。OMG!

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まあ大したモンじゃないけど究極のプライバシーなんでぼかして上げました。
親もあまり家系のことを言わないし私も大して興味がなかったんで、自分のルーツについて馬鹿みたいに知識がありません。特に父方なんてほぼどこの馬の骨だかわからないんです。それでも母方の本家はともかく大きな家だったんで多少は知識や興味はありました。でも我が家の財産には一切無関係なんでねぇー。
村上藩の土地の差配をした人から主に西蒲区辺りの領地を管理する権利を買い取ったらしいんです。あまり確かな知識じゃ無いけどそのあたりは家系図を書いて下さった方に聞いたり調べようと思います。
曾祖父さんと祖父さんは衆議院議員でした。母から聞いたのですが新潟市内の家には「右筆」さんなんてのがいたらしいです。「右筆」ってご存じですか?祐筆とか執筆とかとも言うらしいです。徳川慶喜を支えた平岡円四郎と原市之進と言うがいたんですが、平岡円四郎が暗殺された後原市之進が慶喜を奥右筆としてサポートしました。その後原市之進も暗殺されています。その辺は渋沢栄一の大河ドラマで出てました。「右筆」なんてのはそんな時代のまでの言葉でしょう。平岡円四郎は八十里越の天保古道を開削した名代官の平岡文次郎の養子です。まあうちは全く武家ではなくて、国会議員だから「右筆」さんなんて大時代的な役職を置いていたんでしょう。知らんけどー!祖父さんも私の生まれる1年くらい前に死んでるので写真でしか知らんのです。
いろいろ新しい事を教えてもらいましたが、曾祖父さんはうちの父方の祖母の実家から嫁さんをもらっていたんです。でも、その人と子が出来なかったんで別の家から養女をもらっている事です。それが私の祖母です。その人にと結婚したのが養子に入った私の祖父と言う前後関係らしいんです。他人が聞けばどうでもいいような事でしょうが、私にとってはちょい驚きでした。
その祖父は宮沢賢治の盛岡高等農林学校を出ていて、そんな関係か祖父の実家では昔からル・レクチェと言うフランス原産の洋梨を昔から作っていました。おかげで私もちっさい頃からル・レクチェを食べれたんです。ル・レクチェは近くの今の南区の小池家と言う庄屋さんがフランスから取り寄せて育って近隣の農家に広めたものです。栽培が難しいので本家フランスではもう作られていないそうです。今県内で作られているル・レクチェより直接小池家からもらった苗のものの方が美味しいそうです。ましてや山形の洋梨より美味しいよって私は思ってます。それが祖父の家に伝わっているんです。
いろいろややこしい話しばかりですが、自分の覚えのためにここに書き止めているんです。ごめんなさい。書いておかないとこの頃物忘れがねぇー!

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さて、親戚の家から近いのでその足で白根プールに寄ります。雨ですが、今日も泳いでスッキリです。
どうも整理しきらんような私事を書き連ねてゴメンなさい!NHKの「ファミリーストーリー」みたいにだれかちゃんと調べてきちんとまとめてくれるとありがたいんですけどね。


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母の入院 mother's hospitalization [母とのこと]

10月10日

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雨ですが夕方白根プールに泳ぎに行きました。

10月11日

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午前中畑で午後からプールといういつものパターンでいこうと思い、先ずは畑で農作業です。
カワナガレナ(トウ菜)の芽生えを移植したり(上)、寒くなってもう最後のゴーヤーを採り入れたり(下)していると、母の特養の方から電話です。
先日もらった薬を飲んでもあまり熱が下がらないので病院に行って検査してもらったけど、原因がわからないのでとりあえず入院してもらいましょうとなったとのことです。
畑を片付けて大慌てで病院に向かいます。

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ドロドロだから家に寄って着替えてだから病院まで1時間半はかかります。
電話くれた人は特養へ必要なモノを取りに行っています。
病院に来てもコロナのために、もう病室に入った母には会えません。私は入院手続きをします。
そうこうしてたら特養の人が戻って来て、いろいろ打ち合わせしてお願いして別れました。ともかく様子をみるために1週間ほの入院となるとことです。さほど重篤ということではなく様子見の入院らしいです。先日母が99歳だと気づいたばかりなんで心配ですけど、病院に独りいてもやることも無いので帰ります。

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今日のところはしただに戻らずに、松浜の実家泊まりにします。
新井郷川沿い(上)のスーパーに寄って食料仕入れ、実家です。夕焼けがきれいです。(左下)
家にあるビール飲んで白ワイン飲んでそのまま寝ちゃいました。

10月12日

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月刊誌の取材を受けるので、しただの道の駅で夕方待ち合わせです。新潟から向かいました。しただのエコツーリズムについて聞きたいとのことで県からの紹介だそうです。
お話し終えて道の駅を出るときれいな夕焼けです。

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真っ暗になる前に山の畑にも寄ります。

母の方は病院からの連絡待ちという状態です。


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母が99歳なのに気づいた I just realized my mom is 99! [母とのこと]

10月5日

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白根プールです。

10月6日

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母が半月おき毎くらいで周期的に熱が出るので調べてもらいましょうということで、特養のスタッフと私で以前からかかりつけの病院に行きました。特養などで老人施設ではコロナのせいで面会謝絶なことが多いです。実際母とも6月以来で久しぶりでした。まあ、理由はわかり、その都度熱が治まらない場合は薬を出してもらいましょうと言うことになりました。
ところで、医師が「99歳だからしかたないでしょ。」みたいなことを言うので「??」と思いました。私は母のことは誕生日を回ったことだし98歳になったよねー!っで思っていたんです。すっかり1年勘違いしてました。「えー!99ってほぼ100じゃん。」ひどく驚きました。しかし、ちゃんと計算し直しても99歳に間違いありません。この上はもうじき100歳まで元気に過ごしてもらいたいし、それ以上にも頑張って欲しいです。ネットで調べたら2022年4月になくなった119歳の日本人女性が世界最高齢とのことです。そこまではこっちの身も持たないけど何とか少しでも長生きしてほしいです!
母の歳のついでに念のために自分の歳も確認しましたが、そっちの方はちゃんとあっていました。

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病院を終えて、白根プールに周りました。そう言えば10月に入り入場に際して今まで課されていたコロナのチェックリストの記入が無くなりました。とりあえず感染がおさまりつつあるということでしょうね。

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両郡橋 Inter-county Bridge [母とのこと]

8月30日

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燕三条エフエムでの仕事を終えて白根に向かいます。中之口川沿いに下り、途中、六分の家に寄ります。母の実家です。3〜5才をここで過ごしました。子供の頃のまともな記憶はここから始まります。大きな森の中に大きな屋敷がありました。今は荒れた庭ですが、私のいた頃はまだ大小の大きな池があり立派な庭でした。台所の前にフクロウが巣を架ける大きなケヤキあり怖かったです。何しろいろいろ冒険出来る広い森でした。
上のカットにある森の手前の原っぱは田んぼでした。こっち側は裏で、表の方には昔門番が中に住んでいたという大きな門がありました。屋敷の周りは堀に囲まれています。
左下の板を渡した橋は私の外界との出入り口です。
堀も時が経ち浅くなり草も茂っています。右下のカットに堀と庭の池との水の取り入れ口が見えます。当時金網で仕切られていましたが、ここからライギョが侵入して中の池で大魚に育ってました。それを捕まえて大人が大広間に集まって解体してたのを覚えています。

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上は両郡橋と言う名の橋です。かつての西蒲原郡と中蒲原郡に架かるのでその名があります。これは3代目の橋で、初代の両郡橋は私の母方の曾祖父さんが1890年(明治23年)に架けました。今は両岸とも新潟市に合併して、手前は西蒲区、向こうは南区です。
曾祖父さんの娘が対岸の分家に嫁ぐことになったのですが、橋を架けてくれないと嫌だとごねて架けさせたと言う話が身内に伝わっています。表向きには地元の発展に尽くしたみたいになってると思います。何しろこの人も当時の国会議員だったらしいですからね。知らんけどー
下はその両郡橋の土手から見た六分の家の森です。左奥は弥彦山です。

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久しぶりに会う母 mother to meet after a long absence [母とのこと]

6月15日

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今日は母の病院に付き添いです。特養に移ってから病院関係は特養サイドで診察をしてもらえるので、その分母と会う機会減っています。さらにコロナで基本的には面会謝絶なんです。今日は母自身に注射をしないといけないので私が本人を病院に連れて行かないといけないのです。この注射は半年に一度なんで、少なくとも半年毎には私が連れ出します。
上が病院のレントゲン待合室です。いろいろ検査がありそれなりに時間かかります。
下は病院の後母の読む本を借りに行った図書館で見つけたハコネウツギの花です。日本海側で同じような花はハコネウツギでは無くてタニウツギなのですが、庭などで時々ハコネウツギを見かけます。ツボミは白ですが花になるにつれて赤色になります。だから赤、白2色の花が混ざります。

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母を特養に返しました。半日一緒でしたがあまり私のことを思い出した感じがなかったです。もっと頻繁に面会に行っておかないと忘れられちゃいそうです。

昼飯はリンガーハットで皿うどんを食べました。長崎の島原に出張した時寄った島原の友人に、長崎料理はどこが美味しいか聞いたのですが、迷った末に「リンガーハットが美味しいよ!」って教えてくれました。案外そんなもんかも知れないです。さすがに新潟辺りはリンガーハットの支店は多くないです。知っているのは東区のここだけです。なんで近くに来たらたまに入ります。

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白根プールに寄って泳ぎ、晩飯は8号線沿いのゲーセンでカレーを食べました。こらはそこの仔象ちゃんです。
今日はしただ、松浜、東区、豊栄、東区、白根、しただでした。多分150km超の移動だったでしょう。

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母の実家 mother's parents' home [母とのこと]

4月18日

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今日は夜にお寺ヨガがあるんで、午前中だけ薪出しをします。
薪出しは、山の斜面から道に下ろすことと、それを軽トラで家の側に運び出すことです。
木を道に下ろすのにポータブルウインチを使います。まだなかなか慣れていないので苦労してます。50mの10mmロープ で引きます。実際に使うのは30mほどを引き出して使うのですが長いロープ の扱いが難しいです。
直で引く場合と滑車をかます場合があります。滑車をかました方が、万が一ロープ が外れた場合でもウインチ側に道具が飛んでこないので安心感がありますし、引く方向を変えられます。(上)
今朝は軽く軽トラ1台だけの材木を運びます。



真っ直ぐに松浜の実家に向かわずに、西蒲区の親戚に向かいます。
加茂川左岸のサクラ並木を走ると、もう散りかけていてすごいサクラ吹雪です。

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中之口川の手前はモモとナシの花が盛りです。(上)サクラもいいけどこの時期はとてもきれいです。中之口川の先にある木山川という小さな川の辺りに父方の親戚の家がありました。その家の周りがモモとナシ畑に囲まれていて花の時は夢のような眺めだったのを思い出します。
母の実家も中之口川を渡ったところにあるのですが、今日は少し上の昔の電鉄の駅の側にある親戚のお宅におじゃまします。庭で草取りしながら持っていてくださいました。(下)母の従姉になるのかも知れません。私とははとこ同士だとのことです。母の家のことをよく知る人はほとんど亡くなり、この方が一番詳しい人です。お元気そうですが90手間のお歳で実家のことを聞けるだけ聞いておきたいです。今日はとてもそんな時間もないので、ちょっとだけ伺います。それでもびっくりなことを聞けました。何と、木山川の辺りにいた(元々は三条で多分戦争を避けてこちらに住んでいたようで、戦後直ぐに三条に戻ってます。)父方の親戚と母の実家とが、加茂市(今は三条に本社があるらしいです。)のO建設と言う大手建設会社との仕事で関係が出来たらしいです。びっくりです。O建設なんて実家の叔父さんと知り合いだったくらいしか思ってなかったけど、とても深いつながりがあるようです。実家が買った加茂やしただの山の管理をO建設が管理するような関係でもあったらしいです。笠堀ダム周辺の山もそんな土地だったらしいです。

何やらかんやらびっくりする話ばかりでしたが、あちこち話が飛ぶんで結局よくわからないうちに時が過ぎてしまいました。ヨガの時間もあるんで名残惜しいけど切り上げました。全貌はわかりようもありませんが、時々おじゃまして出来るだけ聞き取りたいものです。

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これで禁酒と言えますか? Is this a prohibition? [母とのこと]

9月17日

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しただの家では禁酒中です。ただし独り飲み禁酒であって、誰かと飲むのはOKにしています。もう5年ほどは一滴の酒も飲んでもいません。先日しただの家に友だちが来て強制的に掃除をさせられました。まあありがたいことですが!で、飲まずに貯まってる酒類を実家に運びました。それが左上です。これを一度に飲んではいくらなんで「俺は禁酒してるんだ。」とは言えないです。だから、ボチボチ飲みます。この夜は360ml缶ビール2本で酔いました。
病院へ行って(右上)、
図書館で母用の本を借りて(下)母の特養に届けました。そして夜飲みました。それでも私は禁酒続行中です。

9月18日

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コロナ対策で新潟市の体育施設は9月16日まで閉鎖でした。
17日から白根プールは再開してましたが、昨日は病院などで行けませんでした。今日から行きます。残念ながら雨です。(下)
雨の中のカラスです。(右上)
約2週間のブランクで泳ぎは疲れます。体力維持はそれなりに大変ですが、ちょっと運動を休むとすぐに落ちます。それだけ歳なんでしょう。

久しぶりのプールで白根に行き、久しぶりに白根の三宝亭に行き酸辣湯麺を食べました。嬉しくて撮る前に半分以上食べちゃいました。

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ガラス越しの母との対面 meet with mom through the glass [母とのこと]

9月9日

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グループホームから特養に移り、1月半以上経ちました。
その間母とZoomで話しただけです。その時は状況が状況だけに私のことをわかりませんでした。
今日はガラスドア越しですが、実際に会えました。自分のことをわかってもらえて安心しました。(左上)新しい特養にも慣れたようです。(中上)私には建物の作りが前のグループホームと比べて取っつきにくい感じがします。(特にコロナ禍下では。)外観は母にほとんど影響無いと思います。それでもケアマネの方なんかがよく面倒みて下さるので、少しずつ私も慣れてきます。
午前中は特養に行ったり、病院に行ったり、あちこち支払いやら買い物やら済ませ忙しかったです。
実家に戻り車庫に車を入れようとして、ツマグロヒョウモンを見つけました。雌です。(下、右上)
1980年代までは本州の関西以西のにしか見られませんでしたが、北に分布を広げています。しただの畑でも見ました。( https://sitada-photo.blog.ss-blog.jp/2020-08-26 )
わずかな間に、新潟県でも普通種になっているようです。

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車庫のコンクリートの隙間の草に食草のスミレはありますが、(上)別に産卵しようというわけでもなさそうです。周りのコンクリート面をフラフラしてます。謎の行動です。なかなか離れないから、やはりスミレに惹きつけられているんでしょうかね。
昼から車庫前も含めて、家の周りの草や落ち葉がひどいので草取りしました。(右下、左下)

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そんなことで遅くもなったので今日も実家泊まりにします。買い物するついでに浜に行ってみます。
夕方は釣り人が多いのでびっくりです。上は佐渡方向ですが、今日は雲で見えません。下は村上、粟島方向です。
小4で秋田から松浜に越して来た頃には(元々の生まれも新潟市ですけど、松浜は小4からです。)、新井郷川沿いに歩いて海に出る道すらも無かったです。浜で人を見ることなんかまったく無かったです。車で行ける道が出来たこともありますが、暇人が増えているんですね。年々浜で人を見ることは多くなっています。直接関係ないかも知れないけど、その分浜が荒れた気はします。

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だいたい新井郷川河口から阿賀野川河口まで、何も無いきれいな砂浜でした。突堤も無きゃ、コンクリート護岸も無かったです。リールを持ってる釣り人も少なかったろうから、砂浜で岡っぱりをする人もいませんでした。

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スーパーに買い物に行ったら、切った爪みたいな月が出てました。新月かなと思い後で調べたらもう月齢2.1でした。
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