我が青春の香港 Hong Kong of my youth [日記]
10月21日
半世紀近く前、大学3年の時に行った香港。横浜港から独り貨客船に乗り、長い船旅の末に香港にたどり着きました。カオルーンのスターフェリーの発着する波止場脇にある木造のYMCAに泊り、初めての海外旅行をスタートしました。遠い昔の話です。大学1年の時北海道一周、2年の時九州一周、2年~3年の春休みは奄美大島に行きました。その延長線上に、より南の香港がありました。同じ船会社の航路でオーストラリアに行くのもあったのですが、こっちは流石に留年覚悟で行くことになり、迷った末に諦めました。オーストラリア行の経由地にあたるフィリッピンのビザを取りに大使館に行った記憶がります。かなり真剣に迷っていたはずです。結局、夏休みの3週間の旅を選びました。
今と違い香港の情報なんかほとんど無く、「東洋の魔窟」なんて呼ばれた九龍城砦なんてのがあったりしました。「我不知道廣東話」(広東語はわかりません。)なんて書いてあった10ページもない旅行用の広東語のテキストを握りしめて行きました。
故か覚えているポルトガル人と中国人のハーフで、ジューン・マリア・ダ・クルス君という少年。たまたま知り合っただけですが、ネーザンストリート界隈に顔がきき、あちこち案内してくれました。マカオで出会った別の少年とは帰国後もしばらく文通をしていました。当然、香港はイギリス領、マカオはポルトガル領だった頃の話です。今頃彼らはどうしているんでしょうか?
しかし、当時の世界は今よりずっと平和でフレンドリーだったなあ!
NHKの「ニュース web」を見ていて、ふと、忘れかけていた若い頃を思い出しました。
今香港の若者たちは民主化の理想とシビアな現実の危ういバランスの上にいます。どうか彼らの無事とともに理想が少しでもかなうことを祈ります。
半世紀近く前、大学3年の時に行った香港。横浜港から独り貨客船に乗り、長い船旅の末に香港にたどり着きました。カオルーンのスターフェリーの発着する波止場脇にある木造のYMCAに泊り、初めての海外旅行をスタートしました。遠い昔の話です。大学1年の時北海道一周、2年の時九州一周、2年~3年の春休みは奄美大島に行きました。その延長線上に、より南の香港がありました。同じ船会社の航路でオーストラリアに行くのもあったのですが、こっちは流石に留年覚悟で行くことになり、迷った末に諦めました。オーストラリア行の経由地にあたるフィリッピンのビザを取りに大使館に行った記憶がります。かなり真剣に迷っていたはずです。結局、夏休みの3週間の旅を選びました。
今と違い香港の情報なんかほとんど無く、「東洋の魔窟」なんて呼ばれた九龍城砦なんてのがあったりしました。「我不知道廣東話」(広東語はわかりません。)なんて書いてあった10ページもない旅行用の広東語のテキストを握りしめて行きました。
故か覚えているポルトガル人と中国人のハーフで、ジューン・マリア・ダ・クルス君という少年。たまたま知り合っただけですが、ネーザンストリート界隈に顔がきき、あちこち案内してくれました。マカオで出会った別の少年とは帰国後もしばらく文通をしていました。当然、香港はイギリス領、マカオはポルトガル領だった頃の話です。今頃彼らはどうしているんでしょうか?
しかし、当時の世界は今よりずっと平和でフレンドリーだったなあ!
NHKテレビより from NHK TV
NHKの「ニュース web」を見ていて、ふと、忘れかけていた若い頃を思い出しました。
今香港の若者たちは民主化の理想とシビアな現実の危ういバランスの上にいます。どうか彼らの無事とともに理想が少しでもかなうことを祈ります。
2014-10-22 00:22
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コメント(2)
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おはようございます!
昔に比べて
多くの街が殺伐としてきたように思います・・・
「時代の流れ」は いいことばかりではないですね。
by ちゅんちゅんちゅん (2014-10-22 07:45)
まだ、当時は未来は明るいものだと思われていた頃です。
by モリガメ (2014-10-22 09:29)