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歌舞伎、米焼酎、河井継之助 Kabuki, Rice Shochu and Kawai Tsugunosuke [八十里越え]

9月7日

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今日明日の八十里越体感バスの目玉は檜枝岐歌舞伎鑑賞です。
先ずは、国道290号線、国道252年線経由で六十里越えを越えて、只見町に入ります。
田子倉ダム、田子倉湖の雄大な景色です。湖は今日も水量が多く「謎の湖中階段」は水の中でその不気味な白い姿を見せません。湖底に沈んだ田子倉集落の姿を偲ばせる唯一の遺跡です。実は集落にあった若宮八幡神社の旧階段なのです。水量が多いため今年はまだその姿を見せませんでしたが、渇水時に下の写真(田子倉ダム展望台直下の水面)の辺りに姿を出すはずなのです。

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ダムを降り、只見町中心部を右折して伊南川沿いに進みます。
只見町の地元米で作られる米焼酎・「ねっか」の工場見学です。数軒の米農家が集まって起こした町おこしの焼酎です。研究を重ねとても美味しい焼酎が出来ました。試飲もさせていただきその味を確かめることが出来ました。右上の社長は「ねっか」の海外展開にも燃え頑張ってます。ちなみに「ねっか」とは、”not at all” と言ったニュアンスだそうです。期間、本数限定「44(フォーリーフォー)」はその名の通り44度高級焼酎です。たまたまショップにあり社長が試飲させてくださいました。「美味しいお酒です!」お土産に1本買いもとめてしまいました。

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トマトで有名な南郷を通ります。南郷トマトのハウスがたくさんです。バブル時期東京から矢板の友だちや会社の連中とよく南郷スキー場に来ました。懐かしいです。
左へだいくらスキー場方向に少し行ったところにある道の駅で昼食です。
その後、元の道に戻り桧枝岐村を目指します。早目に着いて、役場から歩いて桧枝岐歌舞伎の舞台などを見に行きます。立派な茅葺き屋根の舞台です。客席は古代ギリシャの円形劇場のような地形をいかした野外です。
一旦、各民宿に分かれて夕食、入浴後また徒歩で舞台に行きます。夕食にはサンショウオの天ぷらが出ました。お風呂は温泉です。桧枝岐村は全戸温泉がひかれているのだそうです。

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開演19時には会場はぎっしりの観客です。(下)
出し物の前に元NHKアナウンサーの解説がありました。このおかげでどんな歌舞伎かがおおよそ理解できて助かりました。
先ずは舞台清めの「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」です。(上)

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次がメインの「玉藻前旭の袂 道春館の段」です。玉藻前は九尾の狐のことで終いには、その九尾の狐が那須岳の殺傷石にされてしまう話です。全体はスケールの大きなお話しですが、歌舞伎では「道春館の段」が独立して演じられるようです。

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一部だけとは言え、陰陽師が出てきたり、悪者の手先が死ぬ前にいろいろ悪事を白状して善玉になりかけたりなかなか複雑なストーリーです。

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それにしても、歌舞伎素人の私にすらレベルの高い舞台で、農民歌舞伎の域を超えているような出来栄えだと感じられます。
桧枝岐歌舞伎を見るのは2度目なのですが、今日はいつものように冷え込みません。
台風の影響のようです。年間平均気温7.7℃と言う桧枝岐村にしては珍しい暑さの日でした。

9月8日

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朝、桧枝岐村から元来た道を只見町へと戻ります。
南会津町に入ってすぐのところにある屏風岩に降りて見学します。(左上)

只見町に入り、塩沢の河井継之助記念館へ行きます。(左下)今日のガイドは友人のMさんです。久しぶりに聞くMさんの説明が以前にも増してキッレッキレの絶好調でした。なんか感動を覚えたほどでした。

河井継之助記念館を出て河井継之助の墓へ行きます。右上は、途中で見た只見川に流れ込む支流です。黒く見えるのは小魚の群れです。ハヤの群れですが、オイカワかウグイと思うんですけど特定できません。ともかくすごい数、川が黒くなっているんです。只見の自然の豊かさの片鱗を見た気がします。

右下は河井継之助の墓がある医王寺です。医王寺は住職の無住の寺です。Mさんの説明で初めて知ったのですが、法事や東軍慰霊祭(毎年8月半ばに行われる戊辰戦争の東軍・いわゆる賊軍死者の慰霊祭)には、遠く小千谷の慈眼寺から住職が来るのだそうです。慈眼寺は河井継之助と西軍(いわゆる官軍)の岩村精一郎との会談が決裂して、北越戦争勃発のきっかけになった事件がおきた寺です。

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その後、只見町中心部の旅館みな川で昼食でした。こちらのオコワが美味しいんです。
そして午後から肝心な八十里越国道289号線工事現場の見学です。
右下は8号トンネル前の工事説明です。
「ねっか」のTシャツを着ている人がいました。いいなぁ、今度買おっと!(右上)
左は4号盛り土から見る2号橋梁です。やっとここまで来ました。工事現場のゲートはすぐそこです。

「ねっか」見学、桧枝岐歌舞伎、河井継之助記念館・・・と、見もの満載のツアーでした。お客様にご満足いただけた2日間でした。










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ホシナジョ Why don't we see starry sky? [八十里越え]

8月25日

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久しぶりの八十里越体感バスのガイドです。
今日は会津高杖高原で1泊便です。
先ずは4号盛り土方向へ行きます。これはそこから見た2号橋梁です。橋脚の上に左右にバランスを取りながら橋桁を取り付けながら伸ばす工法で作られました。ヤジロベエ工法という珍しい工法で作られました。

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大谷川沿いの工事用道路に戻り、5号橋梁工事現場へ行きます。P2はすでに80mの高さに達し足場は外されています。現在はP1工事がすすみ見る度に高く伸びています。
ここの橋は完成すると大谷川から120mの高さになるような大工事です。

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八十里越え289号国道工事現場見学を終えて、只見町です。
塩沢にある河井継之助記念館の見学です。(上)ここまでは八十里越体感バス半日コース1・2号車の人たちと一緒です。記念館は体感バス客でてんやわんやです。ここの「八十里越Tシャツ」がかっこいいっすよ!今日も私着てますが、皆さんにもオススメしときました。
左下は記念館から医王寺に向かう道から見下ろす只見川です。手間の只見線線路の草は刈られています。水害で不通だった只見線の復旧工事が始まってます。2021年開通予定になりました。只見線の奥に並行してある国道252線下辺りに継之助終焉の矢澤家宅がありました。只見川がダム湖になり水没し、継之助終焉の間だけが、今の記念館内に移築されています。
右下は医王寺裏にある河井継之助の墓です。

ここで半日便の人たちとお別れです。私たちは「みな川旅館」のオコワ昼食です。美味しくてちょっと食べ過ぎました。

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伊南川沿いに上りトマトの南郷、「道の駅山口温泉きらら289」と回ります。ここから檜枝岐方向に向かい、その途中を左に高杖高原へと向かいます。高杖高原の会津高原アストリアホテルズが今日の宿です。

そう言えばバブル期に東京から会社の仲間でこの辺のスキー場へよく来ました。高杖、高畑、南郷、だいくらとほぼ総なめで滑りました。リフト待ちも少なくタップリ滑れました。その割にスキーは上達してないけど。しかし、あの頃よく遊んだねぇー!

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只見の米焼酎「ねっか」です。
只見の米から作られ、只見の人々の思いを込めた美味しい焼酎です。「ねっか」は只見町など南会津で、「まったく」とか「ぜんぜん」みたいに意味を強調する言葉です。「ねっかさすけねぇー(No problem at all)」の精神を込めて付けた名前です。社長は頑張っていて、来月はイギリスまで「ねっか」の販路拡張に行くとか言っておられました。(おかしな人が首相になって心配な国ではありますけどぉー)
これと別に越後弁だと「ねっか」と言うと、「じゃないか」みたいな言葉になります。だから、「いいねっかてぇー!」は「いいじゃないのよー!」みたいな使い方です。
バスの中でも「ねっか」宣伝しておきましたよ。だって美味しんだもん。
あー!ついでにしただのイモ焼酎・「五輪峠」もね!

チョッと早く宿に着き、温泉にも入ったので夕食まで仲間と少々「ねっか」を飲りました。「ねっかうんめねっかー!」と言うと越後弁で「ねっかは美味いじゃない!」になります。幸せーじゃねっかー!
でも、夕食後このツアーのメインイベントであるホシナジョに出かけるので、「ねっか」もほどほどにセーブして飲みました。

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これが ”Hoshinajo”(ホシナジョ)です。
「標高1,000mの星宙を見よう HOSHINAJO プロジェクト」です。
「なじょ」は会津弁で「どうですか?」なので、「星、どうですか?」という意味になるらしいです。要するに高杖高原での星空観察会です。
夕方雲が残り心配されたのですが、だんだん晴れてきれいな星空を見れました。ただ星空を見るだけならそれで終わりですが、星空解説付きなのでとても良かったです。

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さそり座の上に天の川。そして左下に金星(この時間には見えないです。)、右上に土星、天の川を挟んだ更に右上に木星(右上の一番明るい星)が見えます。次にこの配置になるのは59年後だそうです。多分それまで私は生きてないでしょうね。

さそり座のアンタレスから3つ目のμ星が拡大すると2重星なのがわかります。(右下の囲みカット)大きいカットのちょうど真ん中辺りの星です。2重星には実施に2つの星が両者の重心の周りを軌道運動している連星と、同じ方向にある星が重なって「見かけ上連星のように見える」ものとがあります。このμ星の2つの星は連星ではないようです。

いろいろ素晴らしい星空を見ることができました。

8月26日

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今朝はすっきり爽やか高原の朝です。
ホテルの窓枠のサッシにオニグモがいました。
「朝蜘蛛は殺すな!」なんてコトワザがありますね。朝クモが巣を張っているとその日は良い天気になるとも言います。
ただ、オニグモは夕方以降に巣を張り、朝には糸を食べて巣を撤収することが多いです。この時も撤収を終えてサッシの隙間に潜んでいたとこみたいです。邪魔してごめんね!

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只見駅の方へ戻ります。
ここで現地ガイドのカズコさんと待ち合わせして、三ツ石神社ハイキングです。三ツ石神社は縁結びの神社ということもありますが、彼女は只見の自然にとても詳しい方で道々そんなお話しを聞けるのが嬉しいです。只見町は2014年ユネスコエコパークに登録されました。豊かな自然と自然に寄り添った人々の暮らしが特異ということで只見町が認定されました。
大きなカットは只見駅前の田んぼで乗客を歓迎するカカシさんたちです。かわいいね。右側に駅のホームがあります。
右下の囲みカットは三ツ石神社の縁結びです。神社の上の巨岩に開いた隣り合った小さな穴をコヨリで貫通することが出来ると願いが叶うということです。クーだらねーぇって思うけど、意外にハマるんです。
縁結びの必要があるのは一人だけで、他はご自身らの縁結びは不要な年配のお客さんばかりです。
でも頑張ったねー!ちゃんと貫通させて5円玉をぶら下げ成功です。もし縁結び成就のあかつきにはお礼参りに来てください。

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田子倉ダムのダム湖・田子倉湖です。規模の大きい湖です。ダムサイトの展望台から上流方向を見た様子です。

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上は、展望台から横を見たところで、左側に田子倉ダムがあります。
下は2018年9月9日の同じ場所です。展望台の真下に不思議な階段のある小島が湖面に顔を出しています。今年6月22日に来た時も上の写真みたいに小島は水中に没していました。雪解け水で湖が満水なせいだろうけど、2018年と同じ時期なので今日はこの不思議階段がある島は見れると思って来ました。残念!
かつて、不思議階段の正体は湖底に沈む前の田子倉集落の若宮八幡神社の階段です。その若宮八幡神社の本体はダムサイト近くの国道252号線脇に移築されています。
と言ったわけで、この湖水に晒されて真っ白い階段を目にするチャンスはなかなか無いようです。

この後、国道252号線で六十里越えを越え魚沼市に、国道290号線で長岡市栃尾経由でしただの道の駅に戻りました。
まあ色々あった2日間でした。我々ガイド側が楽しんではしょうがないですが、楽しかったしお客様に楽しんでいただきました。実は今回お話を伺うと、このツアーの2回目・3回目のリピーターさんが多いんです。それどころかツアー以外にご自分たちで只見町を訪れている只見ファン・八十里越えファンまでいらっしゃいました。河井継之助記念館で売っている八十里越えTシャツの去年バージョン(戊辰戦争150年バージョン)をお持ちの方もおられました。間違いなく八十里越え人気が上がってることを感じ嬉しいことでした。ありがとうございました。

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朝の高杖高原 “good morning” at Takatsune Highland [八十里越え]

8月26日
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八十里越体感バスツアーの続きです。標高1,000mほどある高杖高原の朝は涼しく清々しいです。福島県会津檜枝岐近くです。
昨晩の星空観察会は楽しかったです。天の川はさむ木星と土星、さそり座も手持ちで撮れました。解説してもらいながら見る星空は楽しいです。八十里越体感バスツアーはお得旅でやんす。後日アップします。iPadすら持たないできたのでiPhoneでとりあえずあげておきます。

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高杖にて at Takatue Hotspring [八十里越え]

8月25日
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八十里越体感バスのガイドで会津アストリアホテルに宿泊です。今晩ホシナジョという星空観察イベントの予定です。

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2019八十里越バスツアー始まりました "Hachijurigoe Bus Tour 2019" has started! [八十里越え]

6月22日

只見町の1泊で古道巡り自然満喫コースです。
252号、魚沼市、六十里越、田子倉ダム、只見町、河井継之助記念館、三ツ石神社、八十里越古道、289号工事現場と行きます。
半年ぶりのガイドでちょっと緊張してます。口は回らないし、年代など数字を忘れかけています。

不思議階段の不思議解明!
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田子倉ダムの田子倉湖展望台からの眺めです。大変規模が大きく入りくんだ神秘的なダム湖です。ネッシーほどの怪物を見かけることはありませんが、湖面を渡るクマは釣り舟からよく目撃されています。なかなか泳ぎ上手ですよ。
上2019年、下2018年です。
[不思議階段 Mysterious Stairs https://sitada-photo.blog.so-net.ne.jp/2018-09-10-1
2018.9.10掲載9.9記事]
去年展望台直下に見つけた不思議島・謎の階段が今年は有りません。あったはずの島が⁈ますます怪しい島です。あまりの不思議に隣の売店の人(地元焼酎「ねっか」の蒸溜所・「合同会社ねっか」の専務さん)をつかまえて疑問をぶつけて見ました。わかりました!
あれは若宮神社という湖底に沈んだ田子倉集落の神社の階段だそうです。若宮神社本体は現在湖脇を走る252号からも見える位置に移築されています。階段は移築されずにその場に残されました。それが渇水期に姿を現わすこともあるのだそうです。去年私が見かけたのが丸一年前の雪解け時期だと勘違いしてたんです。後で自分でブログを見たら撮影日は2018.9.9でした。6月と9月ではかなりの水位の差があるはずです。去年見た時わいた「何のために湖水の真ん中に作られた階段?」も、ダム工事前からあった神社のものだとわかりました。

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河井継之助記念館で「八十里越Tシャツ」を買いました。かっこいいでしょ!お隣は只見町の五十嵐名ガイドさんです。彼女とおソロだよー!左奥に河井継之助の墓です。ここは河井継之助記念館、医王寺、墓がある塩沢というところです。「八十里越Tシャツ」をかっこいいと思うのはマニア、関係者だけですかねぇー。

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只見駅の只見スキー場側の山にある三石神社へ上ります。小さい頃この辺を遊び場にしていたカズコさんに現地ガイドをしていただきました。昔々只見のマドンナだったとか一部マニアから言われている方です。こちらは特に自然関係に強い名ガイドです。そんな人に縁結びの岩がある三石神社で縁結びのやり方を教わります。縁結びの必要無い人たちばかりでしたが、一人だけ何としても願いの叶う必要がある人がいました。何と!彼女だけ執念でコヨリを岩の穴に通すことが出来ました。出来そうで出来ないコヨリ通しに、意外と皆んな盛り上がりました。まだ皆さん縁結びしたいお年頃?

今日の泊まりは只見町中心部にある「みな川」さんです。夕食は楽しいお客さんで大盛り上がりでした。よかったよかった!明日も楽しくやれそうです。お天気だけが気がかりです。

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八十里越古道歩きは、雨もほとんど当たらずかといって暑くもなくほぼ曇りでした。帰りには薄っすら陽も差してきました。ブナの緑が映えるいい天気です。ご案内は我らの山岳ガイドツノダさんです。只見の山お任せのめっぽう山に強い人です。浅草岳登山道を山神杉から別れて、そこから先は地元ガイド同行でしか入れない自然保護エリアです。ここからブナ次郎まで美しいブナ道の八十里越古道です。小三本沢手前まで行って引き返します。ここから先は沼の平、しょっちゅう地形が変わっている危険地帯です。
今日は浅草岳山開きの日です。浅草岳登山道の帰りは田子倉ダム側から降りて来る山開き登山の人たちに抜かれなが歩きます。あー!楽しかった。ツノダさんありがとう!

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さて、山登りを終えて最後に本題の八十里越工事現場見学です。
ハイライトは5号橋梁現場です。上が完成模型です。
出来上がると、下を流れる大谷川から橋梁までの高さが約120mになります。
今回ツアーに日経BPの日経コンストラクションさんの取材チームも同行でした。肝心の工事現場も雨に降られず、いい写真撮れたんじゃないかな。

雨降りは夜で、予想された悪天候も避けられしただ道の駅にもオンタイムで到着です。バスの運転手さんもこのツアーをよく担当される方で気遣い十分の方でした。肝心なポイントでスピード緩めてくれたり、ちょっとした彼の心遣いはとてもうれしかったです。

天気よし!只見のガイドさんよし!何と言ってもお客さんよし!と、おかげさまで2019八十里越バスツアーもいいスタートが切れました。ありがとうございました。

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帰ってから夕食の野菜採りに山の畑に行く余裕もありました。あーよかった!
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八十里越体感バス勉強会 study session for “Hachijurigoe Bus Tour” [八十里越え]

5月30日

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午後から今年の八十里越体感バスツアーの勉強会です。
三条市のバスで工事中の298号線を行き福島県境を越えます。ご協力下さる国交相長岡国道事務所さんの車が先導し、工事の解説をして下さいます。

今年は半日コースの場合、真っ直ぐ8号トンネル前〜県境を目指し、帰り道で5号橋梁工事現場の説明、4号盛り土などを見て戻るコース取りになります。

左上は8号トンネル前の広場です。ここはいろいろ施設のあった所ですが、この辺りの工事が一段落してすっかり建物などなくなっていて今は説明用の看板だけ残っています。

右上は県境トンネルを抜けた折り返し地点です。わずかな水溜りにヤマアカガエルの卵塊がありました。こんなところに産んでどうなんかと思いましたが、チョロチョロ湧き水が出ているので何とかなるかな?隠れるとこも無いからオタマジャクシは鳥に食われるかな?

車窓の外にサルの群れが現れます。(下 2点)関屋ツンネのよく見える所ですが、行きも帰りも3〜40匹の群れがいました。親子サルもいました。しかし、今日はサルをよく見る日です。

自然豊かな野生の八十里越エリアです。

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5号橋梁工事現場です。
P2,P3は完成した足場がとれています。P2(左)は大谷川から約120mの高さになります。右下はP1とP2です。P1は工事中で足場が残っています。
右上は4号盛り土から見る2号橋梁です。

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4号盛り土に置かれた3号橋梁の橋桁です。レールの上に乗せられていて、谷の向こう側の橋台に向けて押し出されてゆきます。

と、いった辺りを見学して、道の駅へ戻った後は、公民館へ移動して意見交換会でした。
ガイドもなかなか忙しいんよ!よろしくー。


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「秘境・八十里越体感バス」モリガメ担当ツアー、募集開始です! recruitment of "Hatijurigoe bus touar" [八十里越え]

秘境・八十里越体感バス「八十里越古道・山神杉」コース6月22日・23日の市民ガイドをモリガメが担当する予定です。美しい八十里越古道などを歩いたり豊かな只見の自然を満喫できます。よろしくお願いいたします。

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5月31日10:00から新潟交通「くれよん」で募集開始です。店頭、電話、Webで申し込みください。先着順ですのでよろしくお願いいたします。

Web申込はこちら

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地上70mだー! 70m above the ground [八十里越え]

11月16日

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今年の八十里越体感バスツアーも終わりましたが、今日は来年のために今の工事現場の進捗状況の見学に行きました。

1号トンネルが開通しました。
上は1号橋梁の架かる大谷川です。その向こうに1号トンネルがあります。11月12日に開通したところで、まだ、削岩機の重機が置かれています。(中)開通はしましたが、トンネル内ではインバート工事など仕上げがまだまだ続いています。開通した先の谷は土盛りではなく小さな橋を架けることになったそうです。(下)

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5号橋梁の現場です。これはP1です。随分高くなっています。

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3つの橋げたのうち1番高いP2に上ります。

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80mあるP2ですが、足場の残る70mまで上ってみます。檻というか鳥籠のようなエレベーターで一気に70mの足場まで上がります。素通しでなかなかスリルあります。(右下)右上は関屋ツンネです。八十里越の街道がここを通っています。左は真下の工事現場です。1番高い山は烏帽子山です。

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さっき見上げていた、P1が見下ろせます。P1手前の仮橋の下を大谷川が流れています。5号橋梁は大谷川からは120mの高さに架ります。
コンクリートミキサー車がミニカーみたいに見えます。
また、P1の真上に6号トンネルの坑口が開いています。後でそちら方向に行きます。

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P1の上で人が作業してるのが見えます。

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上はボタ橋上の雑木林です。もう葉を落とした木がほとんどです。更に下って馬追い沢へと行きます。
3号橋梁です。レールに載った橋の躯体を押し出して向こう側の橋台(写真の右下です。)に載せます。(中)
その橋台方向にサルの群れ(下)やカモシカがいましたが少し遠過ぎます。

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この3号橋梁現場から下の2号橋梁がよく見えます。奥の岩山をバックにカッコいいですねぇー!(上)
中は更に奥の4号橋梁から見た2号橋梁です。粟ヶ岳が奥になります。
帰りに下から見た2号橋梁です。(下)

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これは先月22日に番屋山方向から見た工事中の3号橋梁です。今は繋ぎ部分の工事カバーも取れています。

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6号トンネルに入ります。上側の開口部に行きます。

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6号トンネルと7号トンネルの間に大谷川が流れ、その上に5号橋梁が架けられます。6号トンネル坑口からは5号橋梁のP1、P2、P3、7号トンネル坑口が一直線で見えます。先ほどP2からこちらを見た逆です。橋脚が出来るにつれて7号トンネル側から橋の躯体を押し出して3つの橋脚の上に架けられます。大谷川川面上空120mで行われる大規模工事になります。まだ来年以降の工事になりますがお楽しみに!

今月末にはこの一帯の本年工事は終わり、再開は来年の雪解けを待ちます。八十里越体感バスツアーもその工事再開された後の来年6月末からです。

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八丁沖ウォーク Historical Walking of Hattyou-Oki [八十里越え]

10月13日

八十里越体感バスツアーの八丁沖ウォークの日です。
今日はバスは八十里越えには行かず、八十里越えにゆかり深い戊辰戦争の歴史をたどる旅になります。長岡の河井継之助記念館友の会主催の八丁沖ウォークに参加することがメインイベントになります。

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まずは戊辰戦争におけるしただ郷最大の激戦地である赤坂古戦場へ立ち寄ります。慶応4年5月19日第1回長岡城落城後、5月24日この赤坂峠で西軍(新政府軍)と東軍(村松藩を中心とした奥羽列藩同盟軍)が対峙し500名にも及ぶ戦死者を出した戦を繰り広げました。

なお、昨日この周辺にクマが出没したと聞き、クマ除けの鈴を借りて来てツアー参加者の皆様の安全をはかりました。

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八丁沖ウォーク出発地点の北越戊辰戦争伝承館に行きます。
長岡藩牧野家17代目御当主、18代若様をお迎えし出陣式です。四斤山砲2門を撃ち出撃します。
私たち以外にも、只見町から多数、東京からもと150人にもなる参加者です。只見の河井継之助記念館ガイドの知人に会えたのもラッキーでした。今年は只見の河井継之助記念館も戊辰戦争150年というこか来館者が増えているそうです。

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私たちは福井、百束集落を巡って行きます。
そして田んぼ道を八丁沖の沼地跡へと向かいますが、この辺りから遠くですが番屋山、八十里越え、守門岳がよく見えます。左の尖った山、飛んでる鳥の真下が番屋山です。その右の尾根が八十里越え山々、さらに守門岳です。この場所で、lやがて会津への道をたどることになる八十里越えが望めるとは!
手前の山並みの下には新政府軍陣地が点在し、八丁沖中心とした低地を挟みこちら側西の奥羽列藩同盟軍と対峙していました。
また、平成16年7・13水害の時には一帯が2mほどの水に覆われて戊辰戦争当時のような低湿地になり昔の八丁沖を偲ぶことが出来たそうです。
やはり現場に立って見ると当時の状況がつぶさにわかるものです。

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慶応4年7月24日の深夜に長岡藩兵17小隊約680名の長岡軍が、夜陰に紛れて八丁沖を6時間費やして渡り長岡城を奇襲した。翌朝対岸に着いた長岡軍は新政府軍を奇襲した。長岡軍は一気に長岡城下まで攻め込んで山県有朋(狂介)が指揮する新政府軍を撃退し、長岡城を奪還しました。
今は日中ですが、約150人にもなる参加者が大沼跡の田んぼ道を進みます。今日は好天に恵まれて赤トンボもいっしょに進撃します。

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八丁沖の低地の地形はほとんど変わらないのですが、排水が進み今ではすっかり美しい田んぼに変わっています。わずかに当時を偲ばせるカヤ原がありました。(上)このようなカヤに隠れて行けば音を立てなければ身近の敵陣にも気付かれずに進むことが出来たのです。
今日はゲリラ戦ということではないので、要所要所で牧野家18代の若君が皆に掛け声をかけかけてくださいます。鬨の声を挙げ元気に6〜7kmのコースを歩ききります。

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目的地の富島町にある日光神社や八丁沖古戦場パークにたどり着きました。
シメはやはり四斤山砲発射です。

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その後バスで伝承館へ戻り、オニギリ、味噌汁の昼食や伝承館見学をしてから皆さんと別れて長岡城(長岡駅)方向へ行きます。
長岡城本丸は現長岡駅で、二の丸跡はアオーレ長岡になり(左上)遺構うはほとんど失われています。
そこから、河井継之助記念館に行き館内でガイドの方の説明を伺います。
河井継之助の墓は只見町塩沢にもあるのですが、長岡の牧野家菩提寺にもあります。(右上)河井継之助の遺骨は明治3年に、会津若松の建福寺から栄凉寺に移葬されています。墓碑の「河井」の文字は削られ不明瞭です。戊辰戦争の戦いの場になった長岡人たちの河井継之助に対する複雑な思いを表しているようです。
この後、長岡を後に三条へ戻ります。
曲渕戊辰戦役の地へ行きます。五十嵐川左岸の曲渕堤防上に碑あります。(下)

新政府軍は海からも押し寄せます。太夫浜に上陸し、西郷吉之助は隣の松ヶ崎(今の松浜・私の実家のあるところ)にやって来ました。同級生のお母さんの太夫浜にあるご実家に西郷の書がかつてあったとのことです。北越戊辰戦争は片田舎の私たちにも関わりがありました。

新たな新政府軍の増援も加わり慶応4(1868)年7月29日に長岡城再落城し、奥羽越列藩同盟軍は、見附・大面を通って敗走し三条市内に来ます。
8月2日には、五十嵐川左岸に新政府軍、右岸には同盟軍が陣を構え戦闘が行われ、多数の戦死がでました。月岡・諏訪方面から曲渕に進軍してきた薩摩藩の番兵二番隊には、西郷隆盛の弟、監軍であった吉二郎がいました。当時五十嵐川はもう少し南側を流れ右岸には高い堤防が有りましたが、左岸には無くて、吉二郎は田島側の同盟軍の小銃により腰に被弾し瀕死の傷を受け、その後運ばれた柏崎の野戦病院で36歳の若さで亡くなりました。

その後、奥羽越列藩同盟軍は八十里越えを通って只見町、会津へと逃れることになります。
今日は1日で長岡城落城、奪還、再落城そしてその後に起こったことまで駆け足で見て回りました。濃い1日でした。このバスツアー参加者の皆様にもご満足いただけたでしょう。
150年前つまり明治元年は、この中越の地は右往左往の戦乱下にあったのですね!

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バスツアーの下見 preview of bus tour [八十里越え]

10月12日

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しただに帰り、野菜がないので畑に採りに行きます。午前中は雨でした。畑の下の段は一面のセイタカアワダチソウです。その向こうの粟ヶ岳も雲の中です。

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明日は八十里越体感バスのガイドです。なのですが、いつもと違って八十里越には行きません。関連で戊辰戦争の八丁沖の戦い関連のツアーです。その辺のところはほぼ素人なので、少し心配です。そこで午後から手近なところで、赤坂古戦場(上)と、曲渕戊辰戦役の地(下)下見に行きました。
赤坂古戦場では知り合いの猟友会の人に行き会い、近くに熊が出没したことを注意されました。
曲渕ではなんと役所の歴史担当の方が明日のツアーに向けて草刈りをしていてくださいました。ついでにここでの戦のエピソードを教えていただきました。事前に専門家に直接聞けて心強かったです。
やはり下見に行ってよかったです。

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