SSブログ

母の昔話 an old story of my mother [思い出]

image.jpg


これだけしょっちゅう記事をアップしてると、このブログも別の意味を持ちはじめました。一番役立っているのが、撮りためたデジタルフォトのインデックスになっていることです。撮った写真は日付順のフォルダー分けされているだけなので、ブログの記事を手がかりに目的の写真を探すのが手っ取り早いのです。カレンダーになんて言われて探した時なんて、このブログ無しにアタリをつけようとしたら大変だったと思います。

母は時々記憶の底から湧出したメタンガスみたいに、ふっと昔話をしだします。平凡な生涯のようにも思えるのですが、生きてきた時代が時代だけにチャンと残しておけばそれなりの意味があるかもしれません。
前置きが長くなると大変なので、詳しくは端折りますが昔母はたいへんなお姫様だったようです。
今日、新潟日報という県内一番の地方紙をめくっていて、「この坂口献吉いう人が旭町のうちによく来ていた。そのころどういう人かもわからずにお茶を出したりしていた。ともかく、牡蠣が食べられない人だったのをよく憶えている。」とのことでした。
母の父親は新潟日報として昭和初期に統合される前身の新潟新聞社の社長で、坂口さんはそこのNo.2だったそうです。多分、社長とはいえ金を当てにされていたのであって、実務は坂口さんがやってたのではと推測されます。実際その後、坂口さんは新潟日報を設立し社長となり、ラジオ新潟(現BSN)も設立されたのです。新潟市出身の作家・坂口安吾は献吉さんの弟です。
坂口さんの家も大地主のお金持ちで、お父さんも新潟新聞社の社長だったらしいです。その後家坂口家の家計が傾き、弟の安吾さんの文学活動は献吉さんが支えたのだそうです。

んな事があったそうな!
母からの伝聞と少し調べたことからのお話です。

nice!(19)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 19

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0