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一族の終焉 the end of the clan [母とのこと]

1月6日

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万代バスセンターから高速バスで東京へ向かいます。
ここら一帯は万代シテイという新潟交通グループが開発した商業地区です。バスセンター(下)を中心にショッピングモール(右上)、デパート、ホテル、新聞社(左上)・・・が集まる若者人気の場所でもあります。
母の一族は、新潟交通、新潟日報という新聞社なんかの大株主だったようです。母方の私の祖父が「新潟新聞」という今の新潟日報の前身となる会社の社長をしていた時期もありました。祖父のあとを継いだ坂口献吉(作家・坂口安吾の兄さんにあたる人)という方が優秀で、県内の他の新聞社も合併したり、更にラジオ局(後のBSN)開局にも尽力されて現在の新潟日報グループの基礎を作り上げたらしです。坂口献吉さんは安吾のよき理解者でもありました。祖父が社長時代に度々市内にあるうちの屋敷に坂口献吉さんが来ていたらしいです。母は献吉さんは牡蠣が食べられない人だったなんていうことを覚えていました。

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上は信濃川(左)と中之口川(右)の合流地点です。
中之口川は信濃川の分流でここで再び合流します。母の一族のも主にこの川流域の米や水運を利用して栄えたようです。西蒲原郡と中蒲原郡をつなぐ両郡橋をかけたのもうちの先祖なんです。しかし、その人は明治43年の汽船事故で自分のかけた両郡橋に衝突して死んでしまったんだそうです。祖父は同じ集落から養子に入った人なんで、私はその祖先のDNAは引き継いでないはずです。でもどうも変なことが似ている気もします。それでも、この2人は一族では優秀な人だったらしいです。何れにしても生も死も中之口川と共にあった人たちのようです。
下は西蒲原の広い広い水田地帯です。この辺りが私たち一族の生息地です。今年母宛の年賀状で遂に今年うちの本家もこの地を去ることになったそうです。分家の人たちはそのままですが、私の小さい頃を過ごした屋敷は無くなるのでしょう。ガックして詳細を聞く気にもなりません。大阪城じゃなけど、すでに屋敷の堀も門ももう3〜4年前に埋め立てられたりして無くなってます。こうなるのもしょうがないか!
何故こんなわが家の恥ずかしいようなことを書いているかというと、書いておかないと忘れちゃうし、いろいろ昔を知ってる人は母をはじめとして死んだりボケたりしちゃうからです。日記という手もありますが、どこに書いたかも忘れちゃいますからね。

今、私の乗る東京行き高速バスは西蒲原を走り抜けつつあります。考えてみればこのバスも新潟交通などが運行するバスです。

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コメント 2

TaekoLovesParis

NHKのファミリーヒストリーという番組を思い出しながら、読みました。
小さい頃を過ごした屋敷がなくなるのは寂しいですね。立派なものだとなおさら、ですね。
by TaekoLovesParis (2017-01-07 12:27) 

モリガメ

母の時代の屋敷は知らないですが、今は門も無くなり大きなボロ屋です。
by モリガメ (2017-01-09 08:52) 

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