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懐かしい北浦和 Nostalgic Kita Urawa Station Square [東京]

1月10日

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北浦和駅前
Kita Urawa Station Square


埼玉なんで「東京」というカテゴリ−も変ですが、新潟目線では東京辺りということでご容赦ください。
大学1〜2年の教養部時代を過ごしたのが、埼玉大学文理キャンパスです。北浦和駅からすぐの上の写真の森の中にありました。古い木造校舎が並び、天気がいい日は芝生に寝転んで本を読んだり、昼メシ食ったり、ダベったりといかにもという大学キャンパスでした。ベトナム反戦などの立て看もその景色の一部でしたし、何かがあれば変な調子のアジ演説が流れ、ビラ配りが立ち、賑やかで猥雑な活気に満ちていました。新潟からポッと出の田舎モノに「あー!これが大学なんだー。」と感激与えた情景でした。当時、2期校で東京に近いこともあり東大受験などに夢破れ腰掛け気分で来ているヒネタ浪人生が多く、私のような幼い現役は少なかったです。文理学部改組が全国的に広まっていった時代で、私たちは新しくできた理工学部の2期生になります。教授陣も改まり、「埼玉大学(埼大)は東大植民地」なんていわれる状況になっていました。
学生による反対闘争があったものの1967年頃から下大久保への移転が始まり、72年には文理学部は廃止となりました。

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ちょうど、私たちが3年の専門に移る頃、つまり下大久保移転の頃、我らのI先生が埼大に来られました。東大からアメリカに留学し帰られて埼大に助教授で赴任されました。今から思うとお若かったし、トレードマークのピンストライプのスーツもよく似合ってました。教科書はソフトカバーの「ハーパーの生化学」(原書)です。なかなかカッコいい授業でしたが、英文だけの教科書にチンプンカンプンだった記憶があります。30人ちょっとの学科でしたが、私の卒論(そのうち触れることもあるかと思いますが、これが曰くつき)は、このI先生のゼミにつくことになります。うちらの学年で7〜8人のゼミでした。愉快で楽しい先生、(特に女性には優しい)でした。おかげで研究成果はともかく楽しい大学生活を過ごすことができました。
今年のI先生を囲む会はなぜか、3期生が都合がつかず、2期、4期生で13人です。隣のゼミだった奴も2人、上のフロアの子も一人入っています。卒業後だいぶ経つのにこれだけ集まるのは、いかにI先生が人気者かです。1年前の会でお会いして急にボケられた感じがします。「オイ、小川か。覚えてるぞ。オイ、Yか。覚えてるぞ。」なんて調子で何度も繰り返し聞かれるんです。おとぼけも入っているかもしれませんが、かなりのものです。でも、愉快なボケ方で楽しくはありました。

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先生をご自宅に送り届けてからも5時半から始めた飲み会は続き、2時会のお開きは11時でした。何しろ私は新潟、そして北九州、岩手からと先生に会いに遠くから来てる奴も多いんです。

そんなわけで、終電ギリギリになり、しかも武蔵野線で人身事故がありました。八王子で横浜線最終に間に合わず、駅改札でゴネてるのが上の写真(無人カメラの映像)です。30分ゴネてタクシー券をせしめて帰りました。タクシーの運転手さんに聞いたら、この頃あまりこういう場合にもタクシー券が出なくなったそうです。そんなのダメヨー!ダメダメ。ちゃんと、それは払わすべきです。よろしくね!

今年の新年会、先生がスゴーく喜んでくださってたのが嬉しかったです。

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