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神田で忙しい日 busy day in Kanda [神田]

6月30日

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スケジュールを見直したら9:30神田の約束でした。朝風呂もそこそこに通勤通学電車に乗ります。みなみ野駅は女子高生がいっぱいです。(だからどうした!すみませんたくさん見かけるのが久しぶりなもので。)

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銀行の前に七夕飾りが(中右)と思ったら、靖国通り沿いにズーッと飾り付けがありました。もうじき7月ですねー。上は昼休みの喫煙エリアです。タバコ屋さんとパーキングの間に喫煙者が溢れています。都会ではますます喫煙環境が厳しくなってますね。こういう様子を見ると、タバコを止めてよかったと思います。「ごま大福」を買いに「庄之助最中」へ行きました。(左、右下)この頃神田に行ったのに、これを買って帰らないと女房に文句を言われます。

午前、午後と2回も銀行です。内科と歯医者の受診と今日の神田は忙しかったです。採血があるかと朝めし抜きでしたが、内科の後の予定が詰まっているので1回目の銀行の後に昼食にしました。もし、この時食べておかないと、朝走ったこともあり、低血糖になっていた可能性もありました。最後に歯医者の予定なので、内科の待ち合わせ中にトイレで歯磨きです。

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前回胃カメラの結果、胃の柔らかさが少し失われているそうです。胃も歳くってるんですね。それとピロリ菌の除菌を勧められました。我々世の中の衛生状態の悪い時代に生きた年代者の胃には大概棲息しているようです。胃ガンのリスクを減らすには除菌がいいそうです。上の写真は除菌の薬セットとその後の検査の説明書です。

そんなわけで、ノンビリ神田を徘徊なんてできない一日でした。



ベトナムのフォー Vietnamese pho [神田]

4月8日

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この業務用スーパーで、ベトナムのインスタント「フォー」をゲットしました。ベトナムの米粉麺です。

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「アベノミックス→円安」のせいで、トムヤムクンラーメンなどアジア麺のインスタントが100均から姿を消して久しい昨今です。嬉しいです。みんなで買って支援しませふ!

アールグレイティーバッグ 2g x 25パック x 2パック で275円もゲットです。
フォーは5食 x 2パック で350円です。
多町大通沿いの店です。

ミコシ担ぎたい? Do you want carry the Mikoshi on shoulder? [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
4月8日

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神田祭のミコシを担ぎたいようでしたらご紹介します。と、言うよりこのポスターを貼ってあるとこに聞けばOKだと思います。
ここもよく行った飲み屋です。祭り狂いの爺さん(まだ生きていてくれるかどうか?)と、肉の塊みたいな(死にそうにもない。)婆さんがやってる店です。カラオケがパイオニアのレーザーディスクでした。
ここ、須田町中部町会は女ミコシ発祥の地ですから、女性大歓迎です。衣装も借りれので、手ブラで大丈夫です。オットッと、ブラジャーは自前でお願いしますよ、お客さん!

キッチン カロリー Kitchen Calorie [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月25キッチン日

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今日も用があって、神田です。
もう一度、庄之助最中へ行ったり、銀行行ったり。用件が済み、ランチです。小川町の「福すい」にしようといってみたけど、早すぎでした。
駿河台下の「キッチン カロリー」(上)にしました。まあまあ有名店だと思います。ベタですが、「カロリー焼き」(下)が好きです。店特製のニンニク醤油をチョイかけます。
前から思うんですけど、店を仕切ってるオヤジの声デカすぎ!
なお、御茶ノ水駅側の同名の店はお勧めしません。

そろそろ神田を去る時間になってきました。

淡路町交差点、神田須田町 Awajicho, Kanda Sudacho [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月24日

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多町大通りから靖国通りに出て、歩道橋に上ってみます。靖国通りの向こうも須田町ですが、戦災で焼け残ったエリアで老舗の店が多く有ります。
「神田まつや」も老舗蕎麦屋さんで、ソバの味は「かんだやぶそば」より美味しいと思います。安いしいいです。その「神田まつや」の側に満開のサクラがありました。側に行ってみるとソメイヨシノより少し花が小ぶりな感じです。人が足を止めて写真を撮ったりしています。
淡路町交差点に戻ります。(上)真ん中の黒っぽい高いビルに我が社がありました。ドトールコーヒーの上です。丸ノ内線、都営新宿線の地下鉄が真下で、千代田線小川町駅にも地下でつながっています。超便利なところでした。このビルが手狭になり、その後司町へ移転しました。

神保町の古書センターから、東にブラブラ30分ほど神田を歩いてきました。病院の予約時間に間があり僅かに歩いただけですが、いろいろ思い出されることがあります。細かいことは忘れかけてもいるし、街も変わっています。これからも時々、こうして自分の神田を記録して行こうと思います。




庄之助最中 Japanese sweets shop named Shonosuke [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月24日

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大相撲立行司第22代木村庄之助の息子さんがやっている和菓子屋さんが神田にあります。須田町と神田駅近くにあるのですが、私は会社近くの須田町店をよく利用していました。写真展やらに行く時のお土産によくここのゴマ大福を買っていったものです。懐かしいし、新潟の土産に立ち寄りました。ただし、ゴマ大福は添加物が入ってないので、その日のうちに食べないと固くなってしまいます。お土産は、日持ちする最中にしました。
懐かしくて店の人と随分話し込んじゃいました。神田美人と秋田美人です。(上)ことわって撮らせていただきました。神田美人の方の方は以前からいてよく世間話をしたんですが、もう一人よくおしゃべりしたおばあちゃんがいたんです。でも、その方は亡くなられたそうです。残念!
一つゴマ大福をいただいちゃいました。(右下)後で、淡路町交差点にある「やなか珈琲」でコーヒーを飲みながらいただいたのですが、やっぱり美味しかったです。意外とコーヒーにもよくあいます。
多町大通りに面した角にあります。この通りのはす向かいに天婦羅の「いもや」があり、「いもや」にたむろしている黒猫がどうしたこうしたといったことを、その亡くなられたおばあちゃんと喋ってたことを思い出します。


糖尿病友だち diabetes friend [神田]

3月24日

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腕よし、食材よし、酒よし、器よし・・・・・で大はやりの店が神田須田町(多分須田町)にあります。「きど新」という富山湾の魚が入る美味しい店です。ランチタイムも12時過ぎたら満杯の混み様です。セブンイレブンの裏です。
南極越冬隊の料理人さんがやっていた店が閉店し、その跡に越してきたんです。それも10年以上前の話です。

神田は昔の小さい町名がそのまま残り、チョット行くと違う町になります。かなりややこしいです。我が社も淡路町駅から 0分のビルにいたことがあります。駅の真上のビルでした。ここは駅は淡路町なのに住所は須田町でした。その後手狭になり淡路町駅前から神田司町2丁目に移りました。今のイオン銀行本店法人営業部が入っているビルです。司町も不思議で何と2丁目があるのに1丁目が無い町です。
そんなわけで今の「きど新」があるのが須田町かどうかチョット怪しいです。「きど新」はここに移る前は神田美土代町(多分?)で「ひょうたん」という小さな店でした。何しろ神田の町名はややこしいんです。

「ひょうたん」時代、「きど新」と超繁盛で忙しい店です。マスターは缶コーヒーの飲み過ぎや忙しさで、糖尿になり私と同じ病院通いでした。今日、久しぶりにランチでお邪魔して聞いたら彼の糖尿は治ったそうです。偉い!境界型のうちにちゃんと節制したのでしょう。私はすでに境界型とは言えないらしいですが、望みを捨てずに見習って治したいものです。
この店に行くと飲みたくなるのですが、ランチタイムですからグッとこらえて、こんど夜に来たいです。


アムネスティ、YMCA、糖尿病 Amnesty International, YMCA, diabetes [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月24日

我が社及び私の暮らしは、靖国通りと南側に並行する一通の通り(岩本町からの一八通りに続く道)を中心に展開して行きます。つまり、小川ことモリガメは神田小川町あたりをウロウロとしていたわけです。

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左上の写真で今空地になっているところに、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの日本支部が入っていました。このビルもその一通の道に面しています。ここに来る前には私ら入っていた司町の同じビルの上のフロアにいました。それと知人の関係で、うちもアムネスティさんの仕事もしていました。そして仕事とは別にブッシュのイラン戦争反対デモにアムネスティの人たちと参加したりもしました。この馬鹿な大統領の引き起こした欺瞞に満ちた開戦が、今日の IS 問題を引き起こした発端となっていることは歴史的な事実です。
右上の写真は神田YMCAの跡地に建つ住友不動産のビルです。神田YMCAで水泳の習慣がつきました。会社が側だったんで、毎日風呂代わりに使える恵まれた環境でした。今から思うに夢のような時です。神田Yが無くなっても未だに当時の仲間と付き合ってもらっています。朗泳会というプールの会の忘年会メンバーとしてですけどね。

下は本日の目的地の病院です。かつて神田Yにあった診療所で、今は小川町交差点の角に有ります。
前回1月の血液検査の結果を見て、どこか筋肉が痛いことなかったか先生に聞かれました。ズバリ、聞かれてビックリでした。ちょうど足腰の調子が悪かった時の結果です。それは血液検査で筋肉痛を抑える薬を飲むと出る酵素が検出されているので聞いたんだそうです。
それと、HbA1cが6.3%でした。ずーっとHbA1cが7%近くだったのに、6.3%に下がったのはすごいです。6.2%以下なら正常範囲です。足腰の具合と、何か関係があるのでしょうか?糖尿病が治りつつあるのならいいのですが。







神田進出と歯医者さん! Head office relocation to Kanda / dentist [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月24日

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駿河台下から皇居方向への大通りを渡り、毎日新聞社のフォギャラリーが有ります。少し南に須田町方からの一方通行の道が有ります。(一八通りから西に続く道)靖国通りと斜め平行(変な言い方ですが)に南側に走る通りです。「錦町 更科」という老舗っぽい蕎麦屋(右)が有り、その並びに卵卸しの店、その隣のビルの2Fに私の会社が有りました。当時、1Fにはカンタベリーというラグビーウェアのブランドが入っていました。目黒にフォトスタジオを残しフォトライブラリーのオフィスだけ移転して来ました。神田であちこち移転したのですが、最初に神田に出た時のオフィスでした。ここで飛躍的に売り上げを伸ばして教科書・学習参考書向け写真の業界で最大規模になりました。バブルとは無関係のはずの業界ですが、振り返れば最ものびた時期でした。
いろいろあった頃のけど楽しくも切ない時(新潟弁の、「せつねー」です。)ここでを過ごしました。

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会社の前の斜め向かい辺りに「鳥玄」さんという店が有ります。その名の通り、焼き鳥の美味しい店でよくお邪魔させていただいていました。品のいいお母様と息子さんがやっていました。地元の祭りにも熱心で、うちの契約カメマンで祭り専門家のこともよく知っていました。
しばらくぶりに行って、ある日お母様が居ないので聞いたら、最近亡くなられたとのことで、息子さんとしみじみ話しをしたことを覚えています。しみじみついでに鳥軟骨に齧りついたら涙がぽろりじゃなく、左上犬歯がポロリとしました。
翌日慌ててスポーツクラブの友人に紹介してもらい近所の歯医者さんに診てもらいました。実はその犬歯は乳歯で、はるか歯茎の奥に大きな永久歯が埋没していました。それをハガネをかけて引張出し使えるようにしていただいた治療の長い道のりは後日取り上げることがあるかもしれません。何しろおかげでその歯医者さんとは今でもお付き合いさせていただいていて今日に至るです。なおかつ、次男までお世話になっている次第です。皆さん歯は大切です。愛と歯は無くしてその大事さを感じるものです。よい歯医者さんとの長いお付き合いをおすすめいたします。

すずらん通り界隈 neighborhood of Suzuran Street [神田]

私の神田物語 My Kanda Story
3月24日

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地下鉄神保町駅から「さぼうる2」〜「さぼうる」の脇あたりを抜けて、すずらん通り(上)に出ます。こちら方向に行くとかつて我が社が有った神田錦町へ行きます。すずらん通りに出てすぐ右手に、日本一古い餃子専門店の一つ「スヰートポーヅ」があります。通勤経路にあるまあ観光スポットみたいな所だから何時もは素通りしてました。神田に来たばかりの頃何度か入りました。割にシンプルな味でした。辣油が無くて、七味か一味唐辛子醤油で食べたような気がします。だから何となく、柿の種っぽい風合いでした。となりの「ろしあ亭」は、同じ経営だとか聞いたことがあります。「ろしあ亭」に落ち着く前はタイ料理店だったり、ブラジル料理だったり入れ替わっていました。タイ料理、ブラジル料理あたりまでは付き合って1回づつは入ったことはあります。タイ料理のお店は、今の岩波書店裏に移ったと記憶しています。まあこの辺の話は人のことだし人聞きだったりするので、あてにならない憶測です。
すずらん通りを秋葉原・大手町方向へ斜めに行くのが通勤経路でした。辺りは小さな本の取次ぎ店や専門書の出版社がたくさんあり本の街っぽい雰囲気が有りました。食肉会社があり大きな牛の半丸枝肉がたくさんぶら下がってるのがチラッと見えたりしました。いまは、再開発で神保町三井ビルディングとかいう味気ないビルになっています。(右下)
そのビルの敷地の北東隣に、山田食堂?だったか田中食堂?みたいな名のすごくボロい店が有りました。女房に逃げられた風のオッサンが年老いた母親とやっていて必死に料理を作っていました。だけども料理が出てくるのが遅いんです。それでも客は心得ていて文句は言いません。そしてその一生懸命料理は美味しいのであります。そんな心温まる店でしたが、時間がかかりすぎて昼休み12時ジャストくらいに入れる時でないと間に合わないので、頻繁に行くことはできませんでした。たまにセーラー服の女子高生の娘が帰ってきて店を手伝ってることもありました。そんな塵芥のような店はとうになくなっています。あの娘は今頃どうしているんでしょう?要領の悪い生真面目オヤジは?婆ちゃんはとっくに居ないと思われます。世はバブルを迎えつつあった頃のお話です。